2017-12-02

人生における究極の奥義とは

「人生における究極の奥義とは」

何事においても、この宇宙における真理を掴むのは容易ではありません。
どのような道に行っても、真理は容易く獲得できません。
真理や奥義という言葉を不用意に使うことを
私はあまり好みませんが、今回は使わせて頂きます。

この宇宙の万事において、高いレベルで成果を出すために、
最も重要で必要とされることは何でしょうか?
その答えは、今の私であれば非常に明確に書くことができます。

それは、合理的思考です。
これが人生の全てに影響を与える、究極の奥義です。
これさえあれば、全ての事柄において高度な成果を残すことができます。
なぜなら成功するために、必要な他の必要な要素は
全てここから芋づる式に、入手することが出来るからです。

では、どうすれば合理的思考を手に入れることができるでしょうか?
これも今の私ならば、明確に答えを出すことができます。
それは自らの意思に基づいて、
自らが決定を下すこと、そしてそれを繰り返し行うことです。

今の世の中において、優秀な人間とは一部の人に限られています。
それはなぜかというと、知性の問題ではないのです。
本来、人生において何が最も重要なことかというと、
全ての決定を自分自身で行うことが、何よりも優先されるのです。
それをしない人が多いから、人生や社会まで豊かになりづらくなります。

あなたは普段から何事においても、自らで決断を下しているでしょうか?
多くの物事を自らの判断で決定していく人間ほど、
合理的思考が高まり、それに伴い人生も豊かになっていきます。
これは子供の内から教え込まないといけません。

本来、子供は放ったらかしてもいけませんが、
親が全てを決めてしまうことも同じくらいまずいことです。
何が重要か?それは子供に選択肢を提示して自らに決定させる。
これが教育という概念の中で、本来は最も重要な事なのです。

以前、私が子供に囲碁を覚えさせると良い、と書きました。
それはこういう意図なのです。
囲碁は自分で打つ手を、自分だけで決定しなくては行けません。
囲碁を覚えることが重要なことでないのです。

ですが、囲碁を覚えることも無駄なことではありません。
なぜなら、囲碁は自然の原理を理解することができるゲームだからです。
それは数の原理であったり、強弱の本質、効率の本質を学ぶことができます。
これらは大人であれば、本来知っていて当然の知恵なのです。

ただ、何が最も重要かというと、決定するというプロセスを学ぶことです。

これは子供にも限らず、大人も全く同じことです。自らが決定を下す。
これを疎かにする人は絶対に幸せになれません。
あなたが決定しない限り、あなたの人生は豊かになりません。
これが真理であり、宇宙の真実です。

今、他人の考えばかりに流されてしまって自分を見失っていたり、
自らで多くの決定を下すことを躊躇う人は、
もう一度、良く考えてみて下さい。これもあなたが決定すべきことです。
例え失敗しても決定を下し続けること、
これさえできれば、後の事はそのうち全て上手く行くようになります。

成功し続ける全ての人間は、これを必ず行っているはずです。
そういう人こそ真に優秀な人間なのです。
決定するという行為は、僅かな事柄から始められるため、
最初からいきなり難解な決定を行う必要は全くありません。
ですが、最終的には究極の成功まで結びついている道なのです。

一覧へ戻る

2017-10-28

一歩先の世界

「一歩先の世界」

今より一歩先の世界はどうなるか?私の予測をお伝えしようと思う。

このブログの読者なら大体予想はできると思うが、
人間の未来においてAIが重要な鍵を握っていることは間違いない。
AIは全局面的に人間の世界を変えていく力を持っているが、
その中でも莫大な影響を与える事の一つが政治だと思っている。

私の持論として最も優れた政治のあり方とは、
国民が政治に関与する民主的な政治ではない。
凡人を遥かに超えた判断力と公平性を持つ存在の絶対王政である。
これを達成可能とするのがAIに他ならない。

おそらく、このような意見を聞いて
理解できないと感じたり、反発したくなる人もいるだろう。
そういう人は今から10年後までの世界をよく見ていて欲しい。
10年後までには私の言っている意味が徐々に実感できるはずだからだ。

以上のような未来を私は確信しているため、
現在の政治のアレコレについてほとんど関心が無い。
せいぜいAI統治までの繋ぎ程度にしか考えていないからだ。
とりあえず現状維持ができれば、後はどうでもいいとしか思わない。

さて、AI統治が訪れるのはそのうちにはなるとして、
AIの管理が進む中、次に来る新たな流れは、どのようなものがあるか?
ここからは確信ではなく推測のレベルになるものだが、
社会主義の復活があり得るような気がするのだ。

社会主義は資本主義と比較して、現在は失敗とみなされている。
しかし、AI統治が進むにつれ話が変わってくると思うのだ。
なぜそのような発想になるのか?
これも単純な話と言える。AIが今の人間の仕事を奪うからだ。
これは起こるかどうかではなく、既に始まっている変化だ。

現在までの社会主義はどう考えても上手くいくはずがない。
人間の労働を代替する物が無いのが大きな要因だったからだ。
しかし、AIがそれを担うなら話は別。
というより、社会としては資本主義のままかもしれないが、
その本質は限りなく社会主義的になって行くだろう。

これは社会主義を主張する人間が増えるせいではない。
自然と社会主義に近い世界に変わっていくことである。
社会主義には社会全体に十分な豊かさが必要になるが、
AIの有無は人間が保有する豊かさに、ものすごい差が存在するわけで、
自然と社会主義的な形態に移行する準備が整うことになるのだ。

これは人間にとって、とてつもなく大きな変化になると言える。
とてつもなく大きな【良い】変化ということだ。
これが僕の求めている宇宙的な社会構造に近づく出来事なのだ。
気をつけて欲しいのはAIの統治が悲しいことでなく、
非常に喜ばしい出来事となる可能性が高いのだ。

優秀な人間も少し未来のAIと比べたらおバカさんなのだ。
道策のような歴史的奇才で、ようやくAIの影を少し踏めるくらい。
それは全ての事柄でこれからAIが明らかにしていくことになるだろう。
難しい問題はAIに丸投げする時代がいずれやってくる。

まぁそのAIを作るのは現時点において優秀な人間ではあるのだが、
そのうちに人の手を離れてAI自身がAIを改良していく流れになるだろう。
それは知性が今までとは遥かに異なる速度で向上していくことを意味する。
我々は自分にとって面白いことだけ追求して行けば良い時代が
もう目の前に迫って来ているのだ。

このような時が一番面白いかもしれない。
あなたは人類の歴史的瞬間を近い将来目撃するだろう。
インターネットの普及よりも遥かに大きな出来事が、
もうすぐ、おそらくあと20年以内に達成されるからだ。

この変化の時代を是非あなたの目でよく見ておくと良い。
AIの躍進は人類の年表にデカデカと載る一大イベントなのだ。

今20歳以上で20年先まで生きる人はラッキーである。
AIが統治する世界とそれ以前の世界を、
一つの人生で体験し、比較することができるからだ。
これは有史の中でも一回限りのレア中のレアな経験なのである。

一覧へ戻る

2017-09-30

目に見えない力

「目に見えない力」

今の世の中に僕ほど馬鹿げている人はいないかもしれない。

世の中は金で動いて、金を沢山持っていることは素晴らしい。
それは当然よく理解している。
それにも関わらず必死で金を得ようとは考えない。
おまけに、そのせいで裕福な暮らしを送ることは困難だ。

なぜそうしているのか、答えは単純だ。
多くの金を得る道を捨てて、別の方向を目指しているからだ。
その方が最終的に得になる、と僕は考えているからだ。

多くの人は目に見える力を重視する。
それは金だったり、社会的地位だったり、権力もそうだ。
なぜそれを重視するかと言えば、これも簡単だろう。
それしか目に入らないから、それ以外が信頼できないのだ。
それも当然の発想だと思う。

ただ、僕は見えない力の方を重視する。
それは徳とか、個人的な資質とか、体のエネルギーとかだ。
なぜ、見えない物を見える物より重視するのか、
これも至極簡単だ。

見える物は必要以上に集めても、人生の苦悩を減らせない。
むしろ必要以上に集めると、かえって余計なリスクを産む。
だから僕は最低限に生きていくための金があれば十分なのだ。
その代わり、見えない力を沢山集め続けることを重視する。

なぜなら、見えない力は人生の苦悩を消すと共に、
自分の豊かな未来を作っていくことの土台になるからだ。
僕にとっての豊かな未来とは、社会的な常識の豊かさではない。
それこそ形は予測できない、豊かな力のある未来だ。

なぜそんな曖昧な言い回しをするのか、
それは見えない力の恩恵は、形が予測できないからだ。
おそらく普通の人はそれを予測ができない不確で不安な将来。
そう思うかもしれない。

しかし、僕から言わせれば逆なのだ。
見える力ばかりに基づいた未来こそ、不確かで不安と言える。
なぜなら、社会がどう変化するかも分からないのに、
現在の社会に基づいた利益のみ優先すれば、
当然、社会が変化した時に自分の現状を維持できるか分からない。

目に見えない力は普遍的なもので、人間の本質に基づいている。
だから社会的な情勢には影響されないし、変化に強いのだ。
当然だろう、人間の本質は人間である限り変わらない。
お金の単位が変わっても、人間は人間を死ぬまで止められない。

だとすれば、目に見えない力だけで生きる能力があれば、
ほとんどの事に心配する必要が無い。
おまけに人生の苦悩まで減って行くのであれば、
僕は当然そちらを選択することしか考えない。

ただ、もちろんデメリットだってちゃんとある。
社会的に裕福に暮らせない可能性が高いこともそうだし、
素敵な異性や子供と生活することも出来ないかもしれない。
しかし、僕はそれを蹴ってでも見えない力を重視する。
それは僕自身が見えない力を持つ事が好きだからだ。

ただ、現代人はあまりにも見えることに囚われすぎている。
多くの事が見えるが故に、見えない事が全く理解できないのだ。
だから、僕は似たような考えを持つ人をネットや文章を除いて、
人生において一人も見つけられなかった。
共感者が異常に少ない、これも大きなデメリットかもしれない。

何を選ぶかは各人次第だが、このバランスの偏りを見れば、
まだ人類は大して進化していないと個人的に思っている。
僕は現人類の自発的な変化には、もはや何も期待していない。
老子や道策のような人間がポンポン出て来るなら話は別だが・・・

だが、それも後少しの辛抱だろう。
近い将来AIを中心とした劇的な世界の変化がやってくる。
僕はそれが現状を大きく変えていくと思っているし、
その新時代の到来を、まだかまだかと楽しみにしているのだ。

一覧へ戻る

2017-07-23

AIの未来

「AIの未来」

昨日は某局が独自に製作したAIの番組を見ていた。
その中身は、AIによる社会提言を検討すること。
このAIは世界に例を見ない「社会問題解決型AI」とのこと。

まず、番組を見て思ったことは「ついに来たか」ということ。
ネット上の反応を見ると、AIはムチャクチャと言う意見も多いが、
AIの特性と完成度を考えれば、僕はこんなものだと思う。
ディープラーニングで有名な、アルファ碁を読み解ければ
ネット上の最初の感想は、あまり違和感が無い。

アルファ碁を研究している人は分かると思うが、
アルファ碁の打ち筋は、ものすごい大局観に支えられていて、
普通の人間からすると、常識的でない手も多々あるのだ。
しかし、局後はアルファ碁の精度の高さが際立つ。

従って、この初回発表の結果は以下の可能性が高い。

①今回のAIが常識的な人間の洞察力を既に超えている
②まだAIが不完全であるため問題解決力が未熟

おそらく僕は①と②が、まだ混在した状態だと思う。
ただ悲しいかな、仮に今回のAIが完璧だったとしても、
ネット上の感想は、おそらく今回と同一になっていたと思う。

もはや人間には正解・不正解は判別できないのだ。
それはアルファ碁の発想を囲碁中級者が
まず理解できないのと、全く同じことである。

そもそもAIは人間的発想でなく、AIの提言には理屈がない。
こうすれば、こうなる、というのを理屈抜きで答えを出す。
それがAIなのである。
従って人間から見れば、完全にブラックボックスなのだ。

この結果を検証するには、実際に実験してみるしか無い。
考えられるのは、影響力の少ない一部から、
AIの精度を検証していくことになるだろう。
おそらくではあるが、AIの力に驚くことになると思う。

仮に、現時点でAIが力を発揮しなかったとしても、
もはや時間の問題である。
それはアルファ碁が、僅か一年で急速に力をつけたの同じである。
今後10年以内には、AIが人間に必須のツールになるだろう。

この変化はネットの普及よりも大きなものになるだろう。
ついに人間は局所的ながらも、
人間以上の知性の創作に成功したからだ。
近い将来、人間の総合的な能力を超えるAIも誕生するだろう。

AIは人間の社会を劇的に変えていくだろう。
もちろん、良い方向に向かってだ。
個人的には長らく待ち望んでいた未来図かな。

今回のAIを皮切りに、こういったAIは急速に増加するだろう。
AIは人間に見えなかったものを、どんどん明らかにしていく。
アルファ碁が囲碁の歴史を一瞬で塗り替えたことと、
全く同じ現象が社会全体に波及していくのだ。

2016年3月には、今日の出来事を予想はしていたが、
実際に形になってみると、あっと言う間だったと思う。
ここからがAIの力の本当の見せ場となるだろう。

一覧へ戻る

2017-06-24

人間関係の妙

「人間関係の妙」

人間関係で最も重要な事は問題を起こさないことだと僕は考える。
では、問題を起こさないためにはどうすれば良いか?
それは誰からも嫌われないし、好かれないことだと僕は思う。

人から嫌われるような行為をしてしまえば、
信用が下がってしまうし、意思の疎通も円滑に行えない可能性がある。
ここまでは誰でも分かるような一般常識だろう。
その上で、僕は人からも好かれない方が良いと考える。

なぜ、仲良くしようとしたり、好かれることが良くないのか。
まず、人と人の理解を深めようとすると必ず摩擦が起きることだ。
世界中のどんな人間でも同一の人間は存在しない。
とすれば、相手と近づけば近づくほど相違点が目立つからだ。

その相違点が互いに許容出来るものであったり、
むしろそれがあることで面白味が出ることもある。
しかし、基本的に人間は自分と異なる存在を嫌う傾向にある。
それゆえ、本当の自分の本意は相手に悟らせない方が良い。
職場などの繋がりの薄い人間関係では特にこれが大切だ。

つまるところ人間関係は深入りすれば危険が増していく。
だから、君子の交わりは水の如し、と古来からも言われている。
人の関わりは薄いほど危険性が少ないのである。
ここが人間関係の不思議な点というか妙であると思う。

嫌われないし、好かれない状態が、
コミュニケーションにとって最も理想な状態となるからだ。

それにこの状態であれば、自分が他人に期待を持たなくてすむ。
期待というのは、あればあるほど上手く行かなった時に、
自分がショックを受けてしまうから無い方が良い。
世の中というのは本当は孤独なものなのだ。

結局、頼りになるのは自分だけで、現実を変えられるのも自分だけ。
突き詰めれば、たとえ家族でも頼りにすることはできない。
人間関係というのは見栄えを良くすることはできるだろう。
だが、それもホンの表層だけだ。
一歩でも人の内面に入れば、自分だけという孤独しか存在しない。

人生というのは生まれてから死ぬまでは、本当の意味では一人なのだ。
ただ、僕が言っておきたいのは孤独というのは悪いものではないし、
これは全人類共通のことだから、何も落ち込む必要はないということだ。
自分の人生の責任は全て自分にある、ということを強調しているだけだ。

人間関係にしても同じだ。自分以外はコントロールできない。
人とのコミュニケーションにおいても、その結果を支配するのは自分だ。
自分が誤った対応を繰り返せば、いずれ弾かれてしまうし、
その環境にあった対応を続けていれば、問題なく過ごすことができる。

自分が完全にコントロールできるのは自分だけで、
負わなくてはならない責任は自分の行動にしか無い。
それは、世界の人口が10人でも1000億でも同じ、
自分が行動した結果以上のものが返って来ることは決して無い。

だから、この世界にはたった一人の自分しかいない事と同じなのだ。

一覧へ戻る

2017-06-17

新しい価値観

「新しい価値観」

僕自身がこの人生においてやるべき仕事、
というより使命とか目的みたいな物が最近見えてきた。

僕が何をしなくてはいけないかというと、
お金に変わる新しい価値観を作らなくてはならない、
そう最近強く思うようになったのだ。

今の世の中の全ては、お金に支配されていると考えて良い。
これを否定することは、現実が見えていない人間だけだ。
命の次にお金の心配をすることは常識というものである。

僕がやらなくてはいけないことは、
この命の次に心配するのが、お金ともう一つの新しい何か、
という何かの部分を見つけることだと考えるのだ。
これは非常に大変な仕事だと思っている。

というのは、お金以外に価値を見出すことが、
一般的に言えば余暇程度のレベルまでが限度だと思うからだ。
これをお金に近いレベルまで引き上げるのは、
人類の今の価値観を大幅に変えていく必要がある。

しかも、僕は目的を見つけることはできたのだが、
それについて最も効果的な方法を見つけることができていない。
そもそも、何がお金と同等の価値を持つのか、
それが自分自身はっきりしていないのだ。

なぜ、そんな状態で目的が分かると言えるのか?
これはもう自分の直感としか言い様がない。

ただ、それだけでなく一つ言えることは、
お金のように有限の物が人の価値観の全てを支配してはいけない、
そう強く感じるようになったからだ。

有限の物が価値観の全てを支配すれば、
それは争いが起きて当然のことであり、平和などとは程遠い。
まぁ、平和が本当に良いか悪いかは別として、
僕は人間同士の無駄な争いは無くすべきだと考えている。

だから、僕が提示する新しい価値を見出すものは、
無限の物である必要があるのだ。
取っても取っても無くならない物でなくてはならない。
それは当然物質的な形のある物ではないだろう。

今まで人類はこれと同じ物を目指して失敗を繰り返した。
特にひどいのが宗教だ。これは明らかな失敗に終わっている。
宗教がもたらした物は利益よりも害悪の方が多い。
宗教の一番大きな失敗要因は、人を組織化した事だと僕は思う。

まぁ、それは置いておいて、物質的ではない何か。
それも宗教のような大部分が表面的で終わるものよりも、
もっと深い物、それが僕の求めている物だ。

ただ、今は追い風が吹くようになった。
それは、AIの進歩により人類に大きな変化が起こる時だからだ。
これにより人の持ってきた古い考え方が捨てられる時なのだ。
そこに新しい何かが入り込む余裕がある。

お金と同等以上の新しい価値が現れるなどあり得ない。
と考える人も多いかもしれないが、
そのぐらいあり得ない方が意味のあることだと思う。

50年前にインターネットが生活の一部になることなど、
その当時の人間はあり得ない、と考えていただろう。
だが、それが現実化したことで世界への影響は凄まじい物がある。
あり得ないと思うことこそ、最も価値があると僕は思うのだ。

ただ、現実的には先が長い話だ。
僕の願望の達成にはそれこそ何十年単位の時間が掛かるだろう。
今は少しづつ目標に向かって歩む時だと思う。
きっと進み続ければ必ず目的を達成するための鍵が見つかる、
そう今は思っている。

一覧へ戻る

2017-06-04

AIに対する驚き

「AIに対する驚き」

昨年、AIが囲碁においてトップ棋士を破ったのは記憶に新しい。
さらに先月(2017年5月)人類最強がAIに完敗したこともあり、
人類はAIに勝つことは不可能になったと言ってよい。

だが、驚いたのはそれだけではなかった。
AI同士が対局した結果を開発者がギフトとして全世界に提供したのだ。
それは人類が未だかつて到達したことのない領域の記録だった。
私も囲碁を打つ者の端くれであるから、多少のことは分かるつもりだ。

しかし、人類にとって奇妙に見える手でも、
それが最強のAIにとって一番良いと見ている手なのであり、
いかに人間が常識に囚われているかを、ハッキリと思い知らされた。
しかも、これは19路の碁盤という限られた世界での話である。

私は前々から人工知能が支配する世界が到来する、と考えていたが、
その想像は甘かったかもしれない、と今は考えている。

というのは、せいぜい人類の最高峰の知能・技術が一般化する、
ぐらいに考えていたのだが、
実際は人類が想像もできない領域に踏み込むということになりそうだ。
それは人間には良い悪いも分からない未知の領域ということである。

人口知能は我々の全てを変えてしまうだろう。
その変化が訪れるのは確実であり、分からないのは時期ぐらいである。
もはや知性において人が人工知能に勝る点は無くなる。
しかし、僕はそれで人間と人工知能の主従が逆転することはないと思う。

なぜなら、人間は霊的な存在であり、知性が人間の全てではないからだ。
おそらく人工知能は霊的な領域まで踏み込んでくることは難しいはずだ。
霊的というのは個人の体験が主体であるから、
それを人工知能が体験することは難しいと思うからだ。
せいぜい合理的な瞑想の方法をまとめるとかぐらいだろう。

そういうこともあって、僕は精神世界の投資を怠らない。
なぜなら、この領域は最も奪われづらい所にあるからだ。
僕は未来のために着々と足場を固めている最中だと思っている。

もはや近未来予測において人工知能の支配は避けて通れない。
人工知能が一体人間に何をもたらすのか?
それは実際に体験しないと分からないが、人類は先に進む以外に道はない。

一覧へ戻る

2017-05-13

地球は原始の世界

「地球は原始の世界」

地球で生きていて、まず思うことはなんだろうか?
僕の場合、地球で生きることはなんと馬鹿馬鹿しいことだろうか。
そんな感想が浮かんでくる。

なぜそんなことを思うのか?
一番の要因は、この地球があまりにも原始的な世界だからだ。
ここは互いが捕食することで成り立つ、という力が支配する世界だ。
これは過去から現在に至っても全く変わらないし、むしろ悪化している。

人類はどうしてもこの捕食のシステムが好きのようだ。
昔は石や棍棒を使って互いに争っていたのだろうが、
今はそれが金や権力に置き換わっただけだ。
互いに争って縄張りを主張する。
見た目が進歩しただけで、本質は地球原始の頃から何も変わらない。

この時点で、まともな存在はやる気が無くなるのである。
全体を見渡せば十分に行き渡る物があるはずなのに、
人一人が生きるのに、最低限の保証を無条件で提供することさえできない。
自分が得さえできれば、他人が何人犠牲になろうが構わない。
こんな状態は明らかにおかしいし、
これをおかしい、と思わないのは地球原始の感覚に相当汚染されている。

しかし、言った所で何も変わらないのが現実である。
それなら勝ち馬に乗れば良い、と思うのも確かに一案かもしれない。
ただ、僕もみたいに愚鈍に徹しているとそうもいかない。
どうせ喰われるなら最後まで愚鈍に徹してやろうと思ってしまう。

なぜ、そんな愚の骨頂を行こうとするのか、
それは死んだ後に「悪いことはしなかった」と、
神様に胸を張って言える存在でありたいからかもしれない。

だが、そんなあやふやな理由だけでなく、当然打算もあるわけで、
人を貶めることに加担しなければ、後が悪くなるはずがない、
という確信があるからだ。
仮に僕はこれから不幸な死に方をするとしても、そこに迷いはない。

人を搾取するような生き方は、金や権力を掴むことはできるだろう。
しかし、どこで大損するか分からない、と、僕は強く感じているのだ。
それを証明などできはしないし、一番大切なことは何も分からない。
この地球においては、本当に重要な事は全て隠されているのだ。

なにゆえ僕はこんな戦場に来てしまったのか?
修行なのか、罰ゲームなのか、ビジネスで来ているのか、
それともちょっと地獄の釜を覗きたかったのか?
だが、それは必ず意味のあることなのだ。
なぜなら、意味が無ければここにいるはずがないからだ。

どんなに無意味に見えたとしても、愚かに見えたとしても、
世界には無意味な事など何一つ存在しない。

一覧へ戻る

2017-04-22

臨機応変に生きる

「臨機応変に生きる」

僕が常に重要視する考え方が臨機応変です。
これが大切な発想だと常々考えています。

最近、興味深いと思ったことに、
スティーブ・ジョブス氏の病気治療の話があります。
彼はコンピューター業界において数々の革新を生み出し、
歴史に名を残す人物として日本でも認知されています。

しかし、彼は西洋医学での病気の治療を頑なに拒み、
東洋医学でのみ治療を行おうとしたそうです。
結果は大失敗になったことは皆さんもご存知でしょう。

この結果を見て考えることは、
スティーブ・ジョブス氏は自身の病気に対して
臨機応変な態度を取ることができなかった、ということです。

西洋医学なら治る、と言われた病気を、
わざわざ拒否して東洋医学のみに傾倒したのは、
病気の治癒を目指すなら、どう考えても選択のミスでしょう。

しかし、私達も笑ってはいられません。
例えば、これが東洋医学を精神世界的発想として、
西洋医学を現実的発想と置き換えると、
同じように臨機応変になれない人は非常に多いのです。

精神世界にハマってしまう人は、
えてして現実的解決法を軽視することが多いですし、
現実世界にしか目を向けない人は、
精神世界的解決法を無視して利益を損ねることがあります。

私が思うに、その原因は物事に拘る所にあると思います。
課題を合理的に解決することより、
手段の方に考え方が囚われてしまうのではないでしょうか?
これは僕が一般的な人を観察すると、いつも疑問に思うことです。

なぜ、拘りを捨てて結果を重視しないのか。
合理的に問題を解決する事を最も重要視する僕には
理解し難いことです。

精神世界を楽しむ人は現実を重視してはいけない、
そんな法律があるわけでもありません。
しかし、多くの人はなぜか一方を良しとすると、
それに偏りすぎることが多いのではないかと思います。

重要なのはバランスと形に拘らない柔軟性です。
突き詰めれば、この二つの能力は非常に大切です。
しかし、学校でこんなことは習いません。

じゃあ、どうすればそういうことを体得できるのか。
非常に難しいですが、僕だったら囲碁を勧めます。
僕の発想の半分は囲碁から会得しましたし、
実戦的な発想の多くが囲碁の中にあります。

あとは中国の古典、特に老荘思想に触れることも大切です。
これらは非常に有益な考え方を含みますし、
古代中国(現代の中国じゃないですよ^^;)はすごいと思います。
これらも実戦的であり、現代人が学ぶべき点が多くあります。

常に発想は実戦的に、臨機応変に対応すること。
これは難しいかもしれませんが、非常に大切なことなのです。

一覧へ戻る

2017-04-15

相手に与えた上で勝つ

「相手に与えた上で勝つ」

世の中の勝負には常に駆け引きがあります。
その中の重要な考え方に、勝ちすぎないというものがあります。

必要条件のみ満たした勝利の利益は
それほど大きくないないかもしれません。
必要条件を大きく超える勝利の利益は大きいですが、
しかし、多くの場合そのような勝利には強いリスクが伴います。

一概にどちらが良い悪い、ということはケースにもよるので、
あまり断定するような言い方はできませんが、
必要条件を大きく超えた勝利を目指すというのは、
一般的にはあまり良いことではない、と私は考えます。

例えば、囲碁の中では以下のような考えがあります。

「相手に与えても勝てるのであれば、それが理想である」

つまり、相手に利益を与えても、
それを上回る利益を自分が確保できるのであれば、
それが一番危険性も少なく、理想的な勝ち方である。
と、言っているのです。

逆に言えば、相手の利益を根こそぎ奪おうとすれば、
当然相手も必死になって抵抗してくることは確実です。
この時、相手が自分よりも大きく劣っていれば、
何とか捌ける可能性も高いかもしれません。

しかし、自分と同等以上の実力を持っているのであれば、
非常に厄介な強敵と変貌してしまう可能性もあります。
それを押さえつけようとすると、莫大な労力が必要です。

ですから、相手に与えても自分が困らない利益は譲り、
自分は重要な利益をしっかりと確保して、
その上で相手が反発してこなければ、
これほど楽に勝てる戦略はないと思います。

普通、勝てるなら徹底的に勝った方が良い。
と、考える人がいらっしゃるかもしれませんが、
それは上記の理由から、あまり得策ではないと私は考えます。

戦いというのは本来、血みどろの争いになる、
というのはあまり格調が高いものとはいえません。
本当に強い人間とは血みどろの争いになる前に、
物事を順序良く進めて勝ってしまうので、
凡人から見ると、強さがよく分からない場合が多いのです。

逆に言えば凡人に強者と認められるようでは、
まだ、超一流とは言えないのです。
一見よく分からないが、終わってしまえば必ず勝利している。
このようなことができるのは、戦いの達人と言えるでしょう。
なぜなら、凡人が理解できない領域で戦っているからです。

話がちょっと逸れましたが、
勝負をするなら、出来る限り楽に勝つ。
そしてそのためには、勝ちすぎを目指さない。
相手に与えて、なお自分が勝つということが大切です。

一覧へ戻る

2017-02-04

判断力と思考力

「判断力と思考力」

あなたは何かを評価する時、どんな基準で評価を下そうとするでしょうか?
評価するというのは判断するということですから、
何らかの判断基準がなくてはいけません。
しかし、この基準が真実から大きく離れたものですと、
何かを評価しても間違った結果となります。

この基準が例えば、メディアの受け売りや人づてのみとなると、
これはかなり怪しい基準になると僕は思います。
というのも、言葉というのはすぐ曲解もされますし、
世の中は発信する側に、悪意のある第三者が普通に存在しますから、
信用できるソースを探すのは骨が折れるわけです。

これを世の中が間違ってる、と言ってもしょうがないのですね、
ここを見ている方は、そんなこと言わなくても分かると思います。
それで確実なソースっていうのは、基本的に外部にはないんです。
与えられた情報を自分の頭で、なるべく正確に処理して、
自分の中に出力された答えが、一番参考になるわけです。

これが出来ないと、世の中で成功することは絶対できません。
しかし、これって出来ない人には習得が面倒かもしれません。
僕も自然と身についていた物で、改めて考えると難しいと思います。

情報の処理というのは、ただ知識を蓄えれば良いものではありません。
知識を蓄えただけでは、歩く辞書になれるだけです。
これだけで良いなら、莫大な量の本を読めばいいだけです。
しかし、データ量の多さと大局的な処理能力は全く別物です。

世の中は玉石混合の情報が様々な場所に溢れていますから、
この中から玉だけ取り出すようなことが、処理能力の一例です。
こういった場合は、自分で考えて比較してみるのが面白いかもしれません。

○○がいい!じゃあそれでいいや!…で終わるのではなく、
なぜそれが良いのか?その選択の欠点は何か?他の選択との差異は何か?
疑問を持つという言い方もありますが、
よくよく考えてみることが、処理能力を向上させることの第一歩です。
これを億劫がるなら、人生の成功を諦めた方が良いかもしれません。

そして有力な情報をある程度絞ることができたら、最適化が大切です。
僕の言う最適化とは、集めた情報を自分の状況に合わせて比較・修正する、
ということです。

正しい選択とは、環境ごとに変わっていきます。
極論すれば戦時中に人を殺すことを躊躇えば大失敗です。
戦争が始まってしまったら、気持ちで負けていればより危険です。
一般的に人を殺すことは、世の中で最も重い罪ですが、
それすら時と場合となることがあるのです。

さて、話を戻すと全ての出来事はケースバイケースですから、
何かを選択する時は、自分の状況に有効な物だけを選ぶことが大切です。
これが奇法と呼ばれるもので、一般的に良いという物は正法と言います。
一般的にはこれが良いとされるけど、僕の状況ではこれが正しい、
といった、その場その場の臨機応変な選択が奇法です。

この奇法が有効なケースが、現実には非常に多く存在します。
最終的には正法と奇法の使い分けが、究極の選択術となるのです。
ですから一般的な選択と、自分に適した選択の両方を常に天秤にかける、
このように思考することができれば、
明晰に長けた人物に近づくことができる、と僕は考えています。

情報の取捨選択は、現代では最も活用される処理能力と言えるでしょう。
重要なのは漫然と選択するのではなく、よく考えて自分の理屈を作り、
それを適宜調整し、状況によって柔軟に使い分けることが必要だと思います。

一覧へ戻る

2017-01-21

貪るべからず

「貪るべからず」

囲碁の考え方は人生というゲームにもよく応用できる、
と、僕は考えています。
その中で、利益を貪ってはいけないというものがあります。

囲碁というのは最終的に囲った陣地が、相手よりも多ければ勝ちになります。
陣地の単位は一目、二目という表し方をしますが、
一目、半目(0.5目)でも相手よりも多ければ勝ちとなります。

最終的にほんの僅かでも相手より有利ならいいのです。
ですから、50目も100目も勝つ必要はありません。
100目の勝ちも、半目の勝ちも、全く同じことだからです。
これは人生でも同質のことだと僕は思います。

人生では大勝しなくてもいいのです。
自分の満足できるギリギリのラインで生きることができれば、
それ以上の危険を冒さなくても済みます。
人生では50目も100目でも勝てるなら勝った方がいい、
と、考える人も多いかもしれませんが、これは考えものです。

無茶な頑張りは当然足元をすくわれやすくなります。
囲碁でも「取ろう取ろうは取られの元」といったような格言があり、
無理矢理に相手を屈服させようとすると、
逆に自分をピンチに追い込んでしまうと戒めています。

自分にとって必要のない物まで頑張ることは、
僕は止めた方が良いと考えています。
必要ない物まで頑張ると、必要な物を圧迫するどころか、
大切な物まで失ってしまう危険性があるからです。

では、あなたにとって本当に必要なものとはなんでしょうか?
一度自分で考えてみたことはあるでしょうか?

あなたに必要なものは、簡単に判別する方法があります。
それは、それが無かったら生活していけないものが、
あなたにとって必要なものなのです。

まず、人間ならば思いつくのがお金です。
ただ、一口にお金といっても違いがあります。
お金についてはどれぐらいの量が必要なのかという点が大事です。

例えば、あなたは生活するのに10億円が必要でしょうか?
もし10億という大金が生活に必要なければ、それは不要なのです。
あったらいいな程度では必要とは言えないからです。
でも、おそらくお給料は必要ですよね?
それは必要だから頑張って獲得しなくてはいけないものなのです。

他にも最近では、スマートフォンなども多くの人が使っています。
スマホが無かったら生きていけない、という人も中にはいるでしょう。
もし10億円なくても生きているけど、スマホがなかったら生きれない、
となれば、その人の価値観では10億円よりスマホの方が大切なのです。

というように、自分の大切なものを一つ一つ明らかにしていき、
不要なものはどんどん手を抜いていく、
このように取捨選択をしないと、人生の進行速度には間に合いません。
必要な物は獲得し、余計な物は減らしていくことが大切なのです。

一覧へ戻る

2017-01-07

答えのない問題

「答えのない問題」

世の中には答えのある問題と、答えの無い問題があります。
学校という場所は答えのある問題の解き方を学びに行きます。
しかし、答えの無い問題も社会には多いと言えます。

当然、本来は答えの無い問題も子供に取り組ませるべきです。
しかし、それでは学校が困るのですね。
なぜなら答えの無い問題は普通評価ができないですから、
優劣をつけることができないためです。

ですから、答えが無くてきっちり評価できる課題を用意すればいいのです。
そんなのあるのかいな?と思うかもしれませんが、
一応、僕は僕なりの答えを持っています。
それは「囲碁」です。

囲碁には答えがありません。探求に終わりもありません。
しかし、対局相手よりうまく打つ、という厳然とした課題があります。
囲碁は全て自分で考え、決断し、選択しなければなりません。
そこで培われるのは、考える力、判断する力、発想力、集中力、大局観です。
大人になったら絶対必要になる要素が、囲碁には詰め込まれています。

囲碁の素晴らしい所は、盤上に無限の自由さがありながら、
最後にはしっかり勝ち負けとして結果が現れることです。
自分が良いように見える手を打ったとしても、
結果として負けるならば反省点が必ずあります。
無限の広さから答えを選ぶのですが、最後には必ず優劣が分かるのです。

僕に子供はいませんが、もし僕に子供がいたら、
囲碁と体を動かすことは必ずさせると思います。
囲碁は一般的なイメージでいうと、おじいさんになったらやるもの、
と、思う人も多いかもしれませんが、
小さい頃からやらせると、その影響はかなり大きいと思います。

僕は子供を囲碁のプロにさせるために、小さい頃から囲碁をやらせよう、
というわけではなく、社会で求められる能力を培うため、
という理由で囲碁をオススメできます。
答えのある問題は学校で学ばさせ、
答えのない問題は囲碁で学べば良いのではないかと僕は思います。

なんだか囲碁のセールストークになってしまいましたが、
僕は囲碁から多くを学ぶことができましたし、
自分の実体験が根拠にあるものですから、間違い無いと考えています。

一覧へ戻る

2016-12-23

新世界について

「新世界について」

昨今は晩婚化や非婚化が加速していて、
このままでは、いつか国が滅んでしまうのではないか?
そんなことを危惧する世の中になってきていますが、
そもそも、これはどういったことが問題なのか?
それを今回考えてみたいと思います。

なぜ結婚したり、子供を産む人が過去と比べって減ったのか?
専門家の方の指摘は、多分ある程度は的を射ているでしょうが、
あえて、私が一つ要因を上げるとするならば、
人が増えすぎた、ということなのではないかと思います。

生命というのは面白いもので、欠けた部分は埋めようとします。
これは「道」の働きであり、満つれば欠け、欠ければ補うのです。
そう考えると、今の日本は人が多すぎるので、
欠けた部分を補おうとする力(人間を増やそうとする力)が
弱いと言えるのです。

仮に私が全知全能の神となり、
人類に対していかなる行為も許される立場で、
日本の少子高齢化をどうしても解消したいと思ったならば、
日本人の半数を年齢の高い順から皆殺しにします。

こうすれば、欠けた部分を補おうとする力が強くなるので、
出生率も上がると僕は思います。
こんなことは暴論も暴論の上、机上の空論なのですが、
原理的にはこれで解決するのではないかと思います。
(皆さんに問題を分かりやすくするためにあえて書きました)

そして今までの人類は意図的とは言えませんが、
これと似たことを行ってきたのです。
それが戦争や医療の未発達、劣悪な環境による淘汰と言えます。
しかし、それを現代で再び繰り返すのも馬鹿馬鹿しい話です。

今、世界はこれまでとは別の方向に向かっています。
おそらく人類は50年後までに自然死と老化を克服すると僕は思います。
この未来はどういった世界なのでしょうか?

おそらくですが、今までの地球の常識や人間のあり方が変わります。
人類は今まで自分達が滅亡しないために、
動物的に繁殖していくことは、ある種の義務となっていましたが、
その基底となる部分が変わっていくのです。

なぜなら、自然死する人間が減るのであるならば、
別に増えていかなくても問題ありません。
若さも常にある程度で保たれるのであれば、何も問題ありません。

そういった世界では、もはや結婚や出産は人類の義務ではなくなり、
してもしなくても、大きな意味を持たくなくなるでしょう。
今はちょうど、そういった未来の世界と、
過去から続く地球の世界の橋渡しの時期なのです。
こういったことを考えると、現在の状況は至極当たり前のことです。

今は過去の地球の世界から脱し、新世界の雛形を作る時期であり、
その役目を今生きている、我々の世代が担っているのです。

一覧へ戻る

2016-12-18

尊いもの

「尊いもの」

より良い瞑想行うには、瞑想のための技術が必要である。
ということは、このブログの読者の方は理解されていると思います。

技術というのは宗教のようなものとは無縁で、
科学やスポーツやゲームと同じ分類に入ります。
高度な技術を獲得することで、信仰心のようなものを獲得する、
そういったことはあり得ることですが、
様々な技術というのは、基本的に単なるテクニックであり、
それ以上でも、それ以下でもありません。

技術を獲得するためには、時間と労力が必要です。
特に精神世界の技術というのは、お金では絶対買えません。
世の中には精神世界の技術を、お金で売る輩もウヨウヨいますが、
これらに傾倒した所で、自分の財布からお金を搾られるだけです。

瞑想の技術を獲得するために必要なことは、
PDCAサイクルというものに近いと言えます。

「P」Plan:計画を立てる
「D」Do:実行する
「C」Check:評価する
「A」Action:改善する

特に重要なのはDoの実行するです。まず実践が必要です。
次に重要なのがCheckとActionの評価・改善です。
実践の結果を、次の実践に活かす必要があるので当然です。
そこで最後に次の実践へのPlanが出てきます。
瞑想だとDCAPといった順番の方がしっくりきます。

こういったことは物事を修める際の基本であり、
それは瞑想でも同じ事と言えるのです。

スポーツ選手の実力そのものを金で買おう。
と考える人は、あまりいらっしゃらないと思いますが、
精神世界の技術をお金で買おう、と考える人は、
中にはいらっしゃるのではないかと思います。
高いお金を出せば技術を買える、と考えるのは頂けません。

技術というのは非常に尊いものなのです。
お金で買えるほど安っぽいものではないのです。
技術はお金を生み出しても、お金は技術に換えられません。

ですから、僕はお金を獲得することよりも、
技術を獲得することに力を注ぎます。
仮に物質的な物を全て失うことになったとしても、
物質主義の人と比べると、僕の痛手は遥かに少ないでしょう。
技術が僕を支えていますから、僕の心配はとても少ないのです。

技術があれば、人生を豊かにできることは間違いありません。
技術を学ぶために使うお金は有意義である、と僕は思います。
しかし、技術そのものをお金で買うことは出来ないですから、
あとは自分の力で獲得していくしかないのです。

一覧へ戻る

2016-12-04

真似ることから道を極める

「真似ることから道を極める」

多くの物事の様々なケースにおいて、その高度な運用を行うには、
自分自身の多用な側面を使い分ける必要があります。

例えば、大胆であり細心であるというのは分かりやすいでしょう。
一見すると、これは矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、
私が分かりやすく注釈を加えてみれば、
発想が大胆であるが、その実現手段については細心である。
このような場合があると言えます。

大胆なだけでは行動が荒い目のようになってしまいますし、
細心なだけでは思い切った決断ができません。
斬新かつ緻密な行動をするためには、
状況に応じて自分を変化させられなくはなりません。

それは言ってしまえば、簡単なことかもしれませんが、
実際に自分に適応するのは困難なことです。
人というのは変化すること自体が苦手な人も多く、
さらにそれを自在に使い分けて、
高精度に状況に適応できる人というのは希少な人種です。

こういう事を行えるようにするには、どうすればいいでしょうか?
まず一つ言えることは、
世の中の出来事は、全てパターンだということです。
ですから、大胆で緻密な行動をしたいと思うのであれば、
既に世の中にある、そういったパターンを真似すればいいのです。

ただ、これは自分自身の能力が飛躍的に高まったわけではありません。
本来はパターンを独創することが理想的な事ですが、
これは、もはや達人の領域とも言えます。
自分の専門分野があるなら、そこだけでも十分すぎると言えるものです。

既にあるパターンを真似することは、独創ではありませんが、
真似する内にその呼吸や、コツを掴む事ができると思います。
例えば、僕は囲碁が好きですから、
常に大胆かつ緻密な碁を打つ、道策という300年前の棋士をよく勉強します。

自分を高度に使い分けることが出来る人間は、
その道であれば、有名であることが多いでしょうから、
やはりそういった人の、真似や勉強から入るのが一番の近道だと思います。

真似するだけでは、とても本当の実力がついたとはいえませんが、
真似をして失敗したり、試行錯誤することが何より大切だと私は思います。
そこに物事を運用するための、コツとヒントが隠されているからです。
真似をした時は、成功よりも失敗した時が一番の勉強になる、と私は思います。
それは、自分と真似る人との違いが何か分かってくるからです。

よく分からなければ、まずとりあえず真似から入ってみる、
このような気楽な気持ちからスタートしてみて、
失敗と試行錯誤と改善を続けていけば、
いつかは自分独自のパターンで道を極めることができる、と私は思います。

一覧へ戻る

2016-11-25

人間の価値

「人間の価値」

最近はコンピューターや人工知能が発達してきて、
人間のやるべきことを、どんどん代わりにやってくれるようになった。
これでいつか人間は、やりたいことだけをやる世界になるのだろう。
しかし、それだと人間が存在する意味は無くなるのだろうか?

違うのだ。人間の価値は全く変わっていないのだ。
その理由はあまりにも単純で理解しづらい。
「存在は存在するから存在する」
「存在は非存在になれず、非存在は存在になれない」
つまるところはこういうことなのだ。

人間が存在するのは存在しているからだ。
それ以外の理由は後付けにすぎない。
これが宇宙の根源。基底になる原則だ。
そして存在していること自体が人間の価値なのだ。

では、科学の発達が何を変えたのか?それは人間の表面だ。
物質的に充足した生活を送れるようになったことだ。
それはけっこう。不足するよりは良いかもしれない。
じゃあ、人間の内面である精神性はどう変わったのか?

どうも一部だけは変わった部分はあるかもしれないが、
多くの場合は闘争をしたり、欲にまみれた状態だったり、
おそらくここ2000年~3000年間位は大した進歩もなかったのだろう。
少なくとも進化した生物だとはあまり思えない。

精神的な進歩がなくても、物質的には豊かになれた。
これが良いことか悪いことかはよく分からないが、
あんまりこういった環境に長居はしたくないな、と僕は思っている。

どうも人間は物質的に豊かになることが最優先で、
誰もが精神的に豊かになることは、まだ何万年か先の話なのかもしれない。
僕が出来る事としては、自分の精神性を高めていくことしかできない。
多くの場合、他人に何をしても無駄だと僕は考えているからだ。

人工知能の発達によって近未来の想像をすると、
ワクワクすると同時に、最終的な結論は何も期待していない。

近い将来人間は病気を患うことはなくなるだろう。
近い将来人間はロボットと生きることになるだろう。
近い将来人間は歳を取ることがなくなるかもしれない。

それはどれも素晴らしいことだとは確かに思うが、
本当の進歩とは僕はピントがズレていると考えているからだ。

では、人間の本当の進歩に必要な事とは何なのか?
難しい質問だ。僕も難しいと感じる。
子供に高い位置のドアノブを自分で握れるようになるには
どうすればいいのか?と、聞かれた時と同じかもしれない。
それは成長するしかない、としか言い様がない。

ただ、物資的な充足の先に、精神性の変容があるとは最近思えなくなってきた。
精神の豊かさとは、必ずしも物質的な豊かさが必要ではない。
むしろ現人類は物資的に充足すると欲にまみれていく傾向のため、
もしかしたら持たざる者の方が、今は正しいのかもしれない。

人間の精神性は昔から大して進歩していないのだ。
きっと明日も変わらず地球はグルグルと回っているだろう。

一覧へ戻る

2016-11-05

快楽と苦しみ

「快楽と苦しみ」

最近、快楽と苦しみはセットなのではないか?
ということを僕は考えている。
今回の記事で快楽というのは脳が快感を感じるあらゆることで、
苦しみはその反動によって起こる良くない状態、ということにする。

普通は何事もほどほどが良い、と言われているが、
それは確かにその通りじゃないかな、と、僕も納得できる。
しかし、その言葉の内訳がどうなっているかと推測すると、

快楽によって起こる良い影響は、その時間が長いほど徐々に減っていき、
快楽によって起こる苦しみは、その時間が長いほど徐々に増えていく。
と、僕は考えるのだ。

つまり最初は良い影響が目立つから特に悪いことは気にならないが、
快楽に費やす時間が長くなるほど苦しみの方が目立つようになってくる。
快楽と苦しみはセットだが、時間の長さによって立場が逆転する。
ということを最近思い始めている。

だから僕は苦しみを減らしたいと思うなら、
まず、快楽を制限することを考える必要があると思う。

しかし、ここで勘違いしないで欲しいのは、
ストレスな環境(例えば職場)で苦しい、というのとは別物だ。
これは外部からの直接的な悪影響なので、内面のバランスの問題ではない。
こういった問題はストレスになる環境を変える必要がある。

ということで、今回はこれとは別の問題ということを認識してほしい。
さて、話を戻して、

快楽と苦しみがセットであるというのあれば、
やたらと快楽を求めることは、苦しむ機会も増やすことになる。
従って平穏かつ安心感を強めたいなら、
快楽に費やす時間を減らす方が良いのではないか?と僕は思う。

私の話であるが、私も実は大のゲーム好きであり、
以前はゲームに多くの時間を費やした。
そして、その結果として寝不足になったりしたものだ。

しかし、それはゲームという快楽が悪いのではなく、
快楽に費やした時間が多すぎるから、悪影響が目立ったということだ。
また、これは何もゲームに限った話ではない。

他の色々な快楽に対しても、言えることだと僕は考えている。
そして、快楽は求めれば求めるほど、もっと強い刺激を求め始める。
これが人生をどん底に突き落とす罠と言ってもよい。

こういったこと考えると、どういった姿勢で快楽と向き合えば良いのか?
それはまず、必要以上の快楽に染まらぬよう気をつけることだ。
最初の一歩を水際で食い止めてしまうことが、負荷も少なく一番容易い。

そして快楽を増やせば、苦しむ機会も増やすことになる、
という言葉を頭の隅に置いておけば良い。
人間にある程度の快楽は必要なことだと思う。

人生に全く快楽がないのも寂しいし、楽しくないだろう。
だが、度が過ぎてしまうのは人の常なので、
なるべくなら増やさなくても良い快楽は、増やさない方が良いと僕は思う。

ただ、こういうことを身内でも強制はしない方が良いだろう。
別に快楽というのはハマりたいだけハマっていいのだ。
それでおかしくなってから、ようやく真の意味が分かってくる。

それを他人がどうこうできるはずがない。
結局そういう人間は遅かれ早かれ、必ずどこかで失敗する。
人間は失敗しない限り人生で何かを学ぶことはない。

要は自分がしっかりしていることが、手本にもなるし一番大切なのだ。

一覧へ戻る

2016-10-23

変わり者

「変わり者」

世の中には色んな人がいるわけですが、
その中でも、あまりいないタイプの人間、というのも確かにいるわけで、
そういう人は、その人の生き方が良いか悪いか以前に、
大体変わり者や馬鹿者、というレッテルを貼られてしまいます。

例えば、僕もかなり変人というか馬鹿者で、
這いつくばってでも真理を掴もうとする変わり種です。
這いつくばってでも金や権力を掴もうとする人間はそこそこいますが、
這いつくばってでも真理を掴もうとする人間はまずいません。
なぜなら目に見える利益に直結しないからです。

じゃあ、なんでそんなものを目指すんだ?と思われるかもしれません。
それは目に見えない利益を求めているからなんです。
だから目に見える利益は大体人に譲ってしまうんですね。
普通の人からみたら、これほど馬鹿らしいことはないでしょう。

でも、その代わりとして僕は、
精神世界では圧倒的に有利に事が進められるのです。
なぜなら、常識人と僕とでは賭けてる物の量と覚悟が違います。
普通の人が見える利益を追い求める時間や労力を、
僕は見えない利益を求めるために使っているわけですから当然です。

これは、才能やセンスうんぬん以前に物量が違うということです。
逆に言えば、僕はたくさんお金を稼いだり、権力を持つということは、
まず、あり得ないことだと自覚しています。
普通の人からみたら、これはほぼあり得ない選択肢ですし、
その判断は間違っていないと思います。これは僕が普通じゃないのです。

じゃあ、見えない利益ってなんなの?と言われると、
僕も確かな実態を把握していないのです。
しかし、これは直感で手に入れておいた良い物、と分かるわけなのです。
例えば、素晴らしい絵を直に見た時に、これは良いものだ。
と、分かることと同じなんですね。

この辺も直感が鈍い人や、現世的利益を求めて打算で生きているには、
全く理解しがたいことだと思います。
そんなあやふやに感じているものに人生を投資するのか、
と、思われても仕方ありません。
僕は未来を見据えて自分では打算的に生きているわけですが、
どうも常識人には、そうは映らないようです。

何にせよ一番重要なのは、何を楽しく感じるか?だと思います。
見える利益を追い求めることに喜びを感じるのは悪い事ではなく。
僕みたいに変わった事に喜びを感じることも悪い事ではありません。
結局の所、人間は変わろうとしても中々変われません。
ですから、自分の喜びとなる事をすれば良いのです。

あなたが一番楽しいと思う事に、あなたの本質が詰まっているのです。

一覧へ戻る

2016-09-04

最悪を想定する

「最悪を想定する」

人生というのは常に最悪を想定しておくべきです。

人間というのは、常に豊かで穏やかな道を進むのは難しいものです。
それは、今の世界の本質が戦いに根ざしているからです。
そして不幸な出来事は前触れもなく突然やってくるものです。

僕は人生を歩んでいく上で、
以下のような考え方を持っていた方が良いと思います。

 明日死ぬ覚悟が出来ている人間は、
 100年生き続ける苦悩を想定しておく必要があるし、
 長く生きることを望む人間は、
 明日死ぬかもしれないということを覚悟する。

このように考えておけば、
人生において無茶苦茶な選択はしづらくなります。

今だけ良いという考え方で、刹那的な欲求を満たせば、
長く生きた時、その選択の代償を払うかもしれない、
と、考えられるようになりますし。

もしかしたら明日死ぬかもしれない、
と、考えておけば、人生で余計な回り道をしないで、
やりたいことや、やるべきことを、早い内に済まさなくてはならない。
と、考えるようになるでしょう。

このように常に自分にとっての最悪を想定しておけば、
準備を整えてから道のりを歩むように、少し安心です。

人生というのは長いようで短く、短いようで長いものです。
また、それが最悪の終わり方をすることも、
常に頭の隅に置いておく必要があるのです。

そして、幸せを当たり前だと思わないこと。

人生というのは、不幸になることが必ずあります。
不幸が当たり前だと思えば、実際に不幸になったとしても、
気持ちは焦らないことでしょう。

世の中というのは、不幸になることは当たり前のことですから、
僅かな時間の幸せや、ちょっとした幸せが、大きな価値を持つのです。
あなたが今、幸せな状況にあるとしたら、
それは当たり前ではないのです。特別なことなのです。

そう考えれば、幸せを手放す瞬間が訪れた時、
もう十分に味わったと、自然に手を放すことができるでしょう。
いつまでも幸せでいることは、普通ではないと理解できるからです。
厳しいようですが、これがこの世界の本質なのです。

一覧へ戻る

Copyright (C) 集合定思考. All rights reserved. Template by Underground