2013-01-31

深い自己中心主義

「深い自己中心主義」

自己中心主義を突き詰めていくと、詰まるところ他人のために動く人間になります。
なぜなら、我々は一体であるので相手にすることが自分にすることになり、
その方が最終的に自分にとって得になることがあるからです。

自己中心、この言葉は一括りに使えない、と私は考えています。
私は深い自己中心主義でいられるのが一番良いと思います。
深い自己中心主義とは、
他人を自分の延長戦上に考え、自他一体であるという理解です。

子供が車に轢かれそうな時に飛び出して守ろうとするのは、
手が体を守ろうとすることと同じことなのです。
これは我々は心の底で自他一体である、ということを知っているためです。

他人は自己の延長線であるから他人は自分です。
ですから、自己中心主義なのです。
ですが、便宜上紛らわしいので深い自己中心主義と言うわけなのです。

他人のため、と言って何かをする行為は献身と言われます。
ですが、結局の所は目に見えない何かを自分が得るために他人に施すことに他なりません。
自他一体の理解に基づけば、他人に施すとは自分に施していることに他ならないからです。

ですから、本当に他人のために何かをしているという人は、
正直にこういった方がいいでしょう、私は自分のために人に尽くしています。と。

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2013-01-30

悲惨な出来事

「悲惨な出来事」

悲惨な出来事は表層では望まない人が多いでしょう。
では、なぜそれが起きるかと言うと、もっと深い意識で選択するからです。

例えとして、いじめ自殺事件で死んだ少年を挙げます。
彼は常識人の視点で見れば、ただいじめられて死んだからかわいそう。
その程度のレベルで止まるのではないでしょうか。

しかし、彼が犠牲になったおかげで教育のあり方が大きく問われました。
これは彼がもたらした利益なのです。
つまり、あるレベルで彼は凄惨な中で殉死することを選択したのです。
そして世界を良い方向に導いた勇者であると言えます。
(自殺は推奨されませんが彼の場合殺されたレベルと私は見ています)

このような犠牲の勇とは魂レベルでも大変な決断が必要です。
自ら捨石になることを望むのは並大抵の魂ではありません。

このように常にただ現実的一面からの視点ではなく
霊的な視点も兼ね合わせないと出来事の本質を見失いかねません。

それと同じで、世の中にある不幸も同じようなことが言えます。
世界に全く意味の無いことは起こりません。重要なことなら尚更です。
悲惨な中にも意味があって、
その出来事には価値があると分かるのは、真の霊性に近づいている証です。

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2013-01-29

選択する理由

「選択する理由」

必要があって世界には出来事が起きる、ということをは一つ前で書きました。
これは正確には人類や人間があるレベルで選択するということで、
そのために出来事が起こるということです。

基本的に自分が選んだものが実現するというのが原則です。
自分が選択した結果、出来事が起こります。
ですから、何かの出来事が起きたというのは、
自分のどこかのレベルで、それを望んだということです。

望んだために、その出来事が必要性を伴った。
という手順で出来事は創造されます。
つまり、注意して欲しいのは悲惨な出来事があったとしても、
自分の意識のどこかのレベルでは、それを選択していることです。

長くなるので続きは次の題で話します。

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2013-01-28

損か得か

「損か得か」

ある人が道端でカツアゲされました。
これを損したと見るか、はたまた得したと思うか。
常識人が見ればこれは丸損でしょう。

ですが、智慧ある人はちょっと違う見方をします。
これを悪業を消して徳が積めた、と見るわけです。

この世界は必ず必要があって出来事が起こります。
特に突然不可避に起こることは必要があるから価値があるのです。
必要がないことはこの世界では起きません。
ですから幸運にも必要を伴って人に施すことができた、ということと見ます。

こういう見方をすると何が得か損か一概には難しくなってきます。
多くの幸運に恵まれれば、それだけ徳を回収したことになります。
人生で失敗することも何か失敗する必要があった訳です。

ですから、常に一時の状態に一喜一憂しない方がいいでしょう。
悲しいことも喜ばしい出来事も、そのうち過ぎ去るものだからです。

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2013-01-27

偽ることはできない

「偽ることはできない」

他人を偽ることはできたとしても、自分は偽ることはできません。
行為の最終的な評価を下すのは他人ではないのです。
それは、あなた自身の内なる神なのです。
ですから、隠すとか煙にまく、なんてことはできるはずがありません。

全て自分は見ているのだから。
自分が見ているということは天は全て見ているということです。

ですが、気付けないということはあるかもしれません。
しかし、それも表層の意識のレベルでの話で、
潜在的な意識のレベルで知らないことは何もありません。

人間には時に偽ることが必要なこともあります。
それが最も調和された行動になる、ということがあるからです。
ですが、自分にも人に対しても必要以上に多くを偽って生きること、
それは褒められたものではありません。

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2013-01-26

争わないから生き残る

「争わないから生き残る」

智慧ある人を傷つけることは難しい。
古来賢人とは争うことができない、と言われます。
それは賢人がそもそも争うこと避けて生きるからです。

たとえ地位があったとしても、無理に上を目指さないから争いません。
上に昇りつめようとしないから誰もその地位を狙うことがありません。

財産があっても無理にそれを蓄えようとしないから狙われないのです。
強さや知や才があってもそれを隠すこともできるし、
誇示しないから嫉まれることがないのです。

そして、本当に大切なものはしっかり手にして天下に徳を示すのです。
ですから、彼の人生は失敗がないし危険がないのと言えるのです。

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2013-01-25

永く続ける

「永く続ける」

「道」に反することは長くは続きません。
「道」に反するということは自然ではなく不自然なことです。

例えば、バランスが悪くて重心が上にあるものは崩れやすいでしょう。
その上さらに物を重ねていけば、いずれ崩れるだろうと誰もが予想できます。
これと同じように不自然であるということは、どこかに無理がかかっているのです。
だから長くは続かないということが言えるのです。

具体的に一つ例を挙げますと、
富める者がさらに富むようになり、貧しい者がさらに貧しくなっていく、
というのは不自然な世界と言えます。
なぜ、そう言えるのかというと自然は常に余分な物を排除して
足りない場所を補うように働いているからです。

不自然なことを続けているといずれ無理が来ます。
人の歴史は自然のあり方を否定して不自然を貫き通そうとします。
だからあまり長くは続きません。
物事を平安に長続きさせるためには「道」に従う方が利口です。

治世を目指すものは、人間がどうすれば自然体でいられるかを知る必要があります。
そして水のように自然体であれば、それは末永く続いて行くでしょう。

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2013-01-24

スピリットバランス

「スピリットバランス」

精神世界では精神(霊性)の発達が何より重要である、と言う人がけっこういます。
ですが、そういう世界に関心がある人は特に注意しなくてはならないことがあります。
それがスピリットバランスです。※これは私の造語です

スピリットバランスとは、精神世界と現実世界のバランスを取ることです。
スピリチュアルに傾倒する人の中には、現実的ではなくなってしまう人もいます。
これは現実において、自分の考えや生活全てを精神世界に注ぎこんでしまうことです。
この状態は病的に近いもので危険です。

       

これから先多くの人がさらに精神世界に関わることでしょう。
その上で、現実的なものを精神世界に投資する場合は注意していただきたいのです。
この地球上で肉体を持っている以上、どうしても現実生活は避けられないからです。

精神世界はこれから必要があるし、世界変えていく力を増すでしょう。
しかし、現実的なものの多くを犠牲にすることはありません。

ですから、ここに書かれていることやスピリチュアルな文献を見て
これは現実的には自分はそう思わないから取り入れない、というのは賢明で、
常に現実と精神世界のバランスを保ち、新しいあり方を模索することが重要です。

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2013-01-23

「道」の道

「道の道」

人が居るところには人間の世界が出来上がります。
それは人が持っているものだからです。
取るに足らないことですら、多くの人間が関わると奥深さが生まれます。

どんな環境になっても、そこに人がいれば今の人間なりの世界が現れるでしょう。
この世界には与えるものが同じならば、帰ってくるものが同じ、
という原則があるからです。

そのため精神世界において世界を変えるためには、
まず、自分が変わる必要がある、と言われます。
環境が変わっても自分が同じようなものを与るならば、
帰ってくるのはものは同質のものだからです。

目の前にある世界を変えようと思うなら、
まず、自分から変わらなければならないのです。
ですから、智慧ある人はまず内側から世界を変えようするのです。
これが「道」の道です。

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2013-01-22

延命

「延命」

厳しい言い方をしますが、
延命は枯れ木の葉を無理にテープで繋ぎ止めることに似ていると私は思っています。
もう役目を果たしているから無理につなぎとめる必要はない、と私は思うのです。
むしろ新たなる再生の邪魔をすることになりかねません。
生と死を一つの流れとして捉えれば延命は良い姿と言えるでしょうか。

私は延命する者を批判しているわけではありません。
ですが、死に関してよく理解していないのではないか、と思っています。
死を理解していないから誤解が起きます。死を知ることは生を知ることです。
ですから、死を誤解すると生を誤解することになります。

死とは何か、死はどういうことなのか、死の意味とは?
これは現人類最大の壁です。
壁を恐れて見ようとしないから、いつまでも消えることがないのです。

死について全て話す余裕はありませんが、一つ例えを挙げるとします。
葉は生い茂って花を咲かせて枯れて散ります。
ですが、枯れて散った葉を見て寂しく感じることはあっても悲しみはしません。
なぜなら、季節が来れば再び葉が芽吹くと知っているからです。

我々は既に知っていることをよく忘れます。
私もよく覚えてはいませんが、実はあなたも死をよく知っているはずです。

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2013-01-21

宗教

「宗教」

この世界に霊性を高めていく信仰はあるのでしょうか。
宗教に学ぶところはあっても宗教がもたらす実害の方が大きいのではないでしょうか。
宗教は依存を引き起こします。宗教に依存するのはもう止めましょう。
依存するというのは霊性とは反対の道です。
この世界は何かに依存することでどうにかなるものではないのです。

もし一つ信仰に依るところがあるとしたらあなた自身です。

あなたの選択する全てがあなたの信仰です。
あなたの内面があなたを導く信仰なのです。
あなたは神の一部であるから自分に付いて行けば間違えることはありません。

自分の依りどころを外側に求めるのは、なるべく止めた方がいいでしょう。
特に宗教組織にそれは言えます。
なぜなら、宗教を依りどころにすると宗教に利用されるからです。
ですから、他人が与えた宗教という神ではなく、
自分の意志で判断する内なる神と共にありなさい。

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2013-01-20

自然というシステム

「自然というシステム」

自然というシステムの完成度の高さには驚かされます。
私は以前ゴミが増えた地域で害虫が大量発生したというニュースを見ました。
私はこれを見た瞬間「自然とはなんと完成されたシステムなのだろう」と感服しました。

害虫が増えて嬉しい人間はまずいません。
しかし、考えてみてください。
害虫はそのゴミを餌として処理し、元のあるべき姿の自然に戻そうとしているのです。
もし、こういった害虫がいなければ自然に毒素が残り、結果としてもっと良くないことになります。
彼らは使命を果たそうと生まれてきたのであり。
それが自然というシステムの一環なのです。

このような完成されたシステムを人間が作ることなどできません。
それどころか、システムを完全に理解できず、うまく活用できない上に壊そうとしています。
神の意図を理解するまで人間はまだまだ先が長いのです。

しかし、その偉大なシステムのエッセンスの結晶が人間なのです。
ですから、我々はそのシステムを理解することに尽力し、
さらに自然と一体となってシステムを効率よく活用できる道を進む必要があるのです。

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2013-01-19

屈していれば

「屈していれば」

古人は「屈していれば完全に残る」と言いました。

強さを求め続ければ、いずれさらに強いものに負かされる。
勝ちを求めすぎると、いずれ負かされると言うのです。
そして初めから勝とうとしない人間は損害を受けずにいられます。

まっすぐな木は良い木だから真っ先に切られます。
素晴らしい湧き水は真っ先に飲み干されます。
それと同じで出る杭は打たれてしまう、とも言うでしょう。
だから弱々しく生きることが安全な生き方で、
柔弱が剛強に勝つとはこのことです。

    

水は最も柔軟であるから何に傷つけられることもありません。
それと同じように、人間も水のように屈していれば損害を受けずにすむでしょう。
しかし、どんな人間も強さを誇示すれば、いずれ負かされてしまうのです。

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2013-01-18

価値の重み

「価値の重み」

貧乏人の1万円とお金持ちの100万円は同じ価値かもしれません。
貧しい人が差し出すものは重みがあるのです。
その重みはお金持ちの大金と同じかもしれないということです。
少ないお金だから価値が無いというのは間違いです。

必要なものを分け与えるというのは徳を高めます。
また、分け与えるというのは、お金に限ったことではありません。
当人同士にとって必要なものを分け合う行為、というのは値千金なのです。

暴君のような権力者は弱き者のことを考えて分け与えたりしないでしょう。
そして高価な衣服を着て、高価な料理を腹いっぱい飲み食いして、豪勢な住居を持ち、
法外な財宝と高価なものを持っています。
これは最大の盗人で「道」からはずれた者達です。
そういった人の前途はあまり良くないでしょう。

必要な物だから分け合う。
これが実行出来れば自然と徳は高まり、霊性の道を進むことができます。

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2013-01-17

不可能なこと

「不可能なこと」

この世界で一番できなくて困ることは、他人を変えることではないかと思います。
他人を変えるというのは不可能なことなのです。

なぜなら、自分が変わるかどうかということは自分が決められます。
しかし、他人が変わるかどうか決めるのは、その人が決めることだからです。
間違える人の多くに他人を変えようとして自分が傷つく、ということがあると思います。
念のためもう一度言っておきます。

「他人の考えは自分の意思で変えることはできない」

唯一できるのは自分がその人間に対する対応を変えることです。
そうすることで結果的に相手が変わることもあります。

しかし、これは相手が決めることだから100%そうなるとは限りません。
ですから、人間は自分がどうするかだけを考えてればいいのです。
なぜなら、それ以外できることがないからです。

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2013-01-16

タイトルとHNの由来

「道顕」というHNの由来

私は囲碁を嗜むので、
「道顕」というHNは尊敬する江戸時代の囲碁棋士「道策」から取りました。
顕の一字は私の本名から来ています。

「集合定思考」というタイトルの由来

私が物心ついた時に最も感銘を受けたのが「老子」です。
集合定思考の中でもいくつか「老子」の言葉を拝借しています。
なぜなら私の遠い目標は「老子」だからです。
そこで「老子」の「老子道徳経」のように漢字で表現された題字にしたかったのです。

「集合」という文字の意味は集合意識から来ています。
人の集合意識ならこういった考えを持っているのではないかという妄想です。
そして「定思考」の由来は囲碁の定石から来ています。
集合定石だと囲碁の話のように感じてしまうので、
「石」の一字を「思考」と変えました。
このブログは思考の変革をテーマとしているからです。

影響を受けた書物

私の思考がどういうものをベースにしているか一応お伝えしておきます。
以下に挙げる本は常識人が考える権威に基づいて選んだものではなく、
自分の直感と感性に従って選んだ書物です。
だから誰が書いていてこれだけ有名だから選んだとか、
これだけ科学的根拠が明示されているからというわけではなく、
私にとって内容が劇的に衝撃を受けたものであるから選びました。
むしろ一般的にはオカルトと言ったいかがわしい分類に入る本だと思います。

「老子」の「老子道徳経」
ほぼ私の考えの根底にある書物です。
未だこれほど奥深く洗練されまとめられた書物には出会っていません。

ニール・ドナルド・ウォルシュ氏の「神との対話シリーズ」
神についての正しい認識、及び人間性のあらゆる分野において
ここまで自分が納得いく言及をした書物は未だ見たことがありません。
しかしはっきり言うとこの本は盲目的になりやすく危険です。
オススメはしません。
ですが視点を変えるという意味では私にとって必要でした。

高藤聡一郎氏の「仙道シリーズ」
気功などの考え方を含む仙道と言われる神秘行を追求したシリーズ。
この人の本ほど神秘行が具体化されている書籍は見たことがありません。
神秘行を徹底追求する姿勢と合理化は天才的。
但し高藤氏の本はそのまま書いていることを行うのではなく、
あくまで気功や仙道の考え方を学ぶことが重要だと個人的には思います。
高藤氏の本は多分に超常現象や超能力を煽る面があるので真に受けるの危険です。
また高藤氏の方法論は真の超人を目指すものであり、凡人の環境ではまず不可能。
高藤氏の技術や方法論を応用して自分のやり方で神秘行を追求する、
それが実戦的な発想だと思います。

謝明徳(マンタク・チャ)氏の「仙道シリーズ」
高藤聡一郎の書籍で神秘行の概要を掴んだ後、次のステップになる本。
高藤氏の書籍に記載されていない技術も多数掲載されています。
情報という観点で言えば高藤氏の本より信頼性も量も勝ります。
さしずめ高藤本が入門者向けとすれば、
こちらは一歩進んだ人が参考にするべき書籍と言えます。

その他オカルト(精神世界関連)本はいくつか参考にしています。


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2013-01-16

競争

「競争」

人と競い合うように利益を得ようとすると、多大な労力を払わねばなりません。
そこで人と争わず目的を達する道を目指す、それが智慧ある人のやり方です。

たとえ戦うとしても、正面から激突すれば損害を受けるのは当たり前のことで、
戦って多大な利益を得られる場合というのは
そもそも相手が守もっていない場所を攻めるからです。

凡人の将は有利な戦いをしようと、戦場に我も我もと先着しようとするでしょう。
ですが、優れた軍師は戦場に労力を払って先着するよりも、
計略を使って戦場を手元に引き寄せるとあります。
こうして遅れながらにして戦場に先着します。

こういう頭を使って得を計ることができなければ、人と争わないほうが良いでしょう。

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2013-01-15

ピンチの思考

「ピンチの思考」

物事を治めるには困窮してからでは遅いと言えます。
治めるという行為は物事を困窮しないように行うことだからです。

兵法の熟達者は戦う前に算段で勝ってから戦場に出向くと言われます。
それと同じように危機を予め避ける、ということが智者の動きです。

危機に陥るという事自体有能な人間なら起こりづらいことです。
しかし、それでも危機に陥った時はどうするか。
そもそも危機に陥るということは算段を根本的に勘違いしている場合です。
ですから、元々持っていた算段とは別な発想で勝負しなくてはならないでしょう。

窮地にあっては自分の持っている何かを「捨てる」発想が重要です。
そして欲をかかないで最低限の必要目標を達成する。
とにかく危機を乗り越えるためには身や得を削らねばならないことがあります。

何を捨て何を残すか。その選択が窮地を打開する鍵になるのです。

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2013-01-14

自然なあり方

「自然なあり方」

「道」は足りない場所を満たそうと水が染み入るように働き、
余分なものを体が排出するように、必要でないものは取り除くように働きます。

その力は尽きることがなく永遠に働いているのです。
その動きと働きは最も自然である、と言えます。
むしろ自然という働きが「道」から生まれたものです。

ですから「道」に従うものは自然の働きに従うものです。
富める者は貧しい者に与えることが自然であり、
統治者は慎ましいことが自然であり、
重たい物は軽い物の源になる方が自然です。

「道」に従って自然であれば、人間は本来のあり方から外れずにいられます。
自然なあり方から外れないから、人々は無理なく生きることが出来るのです。

     

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2013-01-13

自然の摂理

「自然の摂理」

古人が「道」と語った働きの一部を私は自然の摂理と意訳しましょう。
「道」から外れれば世界が少しずつ狂い始めます。
真の智者とはこの「道」に従うものです。

物事を長続きさせたければ無理をしてはいけません。
つま先立ちで立つ者は長くは続きません。

多くの人間は近道をしようとして「道」を外れます。
「道」から外れていずれ困窮し始めます。
だから物事の最初と最後は特に注意しなくてはなりません。
危ない芽は手が付けられなくなる前に処理をしておきます。
誘惑の道は特に注意します。
誘惑のために「道」を外れることは人間の常だからです。

    

ですから、智慧者は欲望を抑え、財の獲得にはとらわれず、余計な知識を排除して、
人々の行き過ぎた欲望や知識から焦りや油断が生まれないよう気をつけます。
こうして万物自然のありのままの姿を大切にして、
ことさらに何か余計な事をしないのです。

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2013-01-12

ありのまま

「ありのまま」

人の欠点ばかり指摘する人間と付き合いづらいのと同じく、
人の長所ばかりを褒め称える人間も、それはそれで胡散臭いものです。

この物質世界にあるものは全て一長一短であり
良い側面と同時にあまり良くない側面も持ちあわせているからです。

     

例えば耳障りの良い言葉だけで飾られたものは奥深さが足りないし、
自分にとって辛辣に思える言葉に真実があることも多いものです。
だから「こういった側面もあればこういった見方もある」
と、ありのままを見つめることが真実に近づいていく道だと私は考えています。

智慧ある人は良いと言われるものに欠点を見つけ、
悪いと言われるものに長所を見つけて両者を差が無いものと見ていきます。
このような理解があるから、あらゆるものを偏りなく扱うことができるのです。

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2013-01-11

創ると壊す

「創ると壊す」

壊すよりも創る方が大変なのだから物を壊してはいけない。
私は幼い頃に学校の教師からそういうことを言われました。
確かに一理あると思いますが、私はそう簡単には思えませんでした。

例えば極端な話、国会議事堂を自分の思う通りにぶち壊せるか。
と、言われたらほとんどの人がNOと言うでしょう。
あるいは、有名な画家の絵を破こうとしたって必ず守る人がいるはずです。

物に重みが増すほど壊すことだって難しいのです。
今にして考えてみると壊すことも創ることも同じくらい簡単で難しいと思っています。

創造と破壊は進化の過程には付きものです。
だから我々は創造を恐れていけないように、
破壊も受け入れる器がなくては先に進めないのです。

       

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2013-01-11

集合定思考2


「バランス」
「ありのまま」
「自然の摂理」
「自然なあり方」
「ピンチの思考」
「競争」
「不可能なこと」
「価値の重み」
「屈していれば」
「自然というシステム」
「宗教」
「延命」
「道の道」
「永く続ける」
「争わないから生き残る」
「偽ることはできない」
「損か得か」
「選択する理由」
「悲惨な出来事」
「深い自己中心主義」


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2013-01-10

足るを知る

「足るを知る」

名誉と自分の体はどちらが重要でしょうか。
財産と自分の体はどちらが大切でしょうか。
ものを失うことは不利益になることもあるでしょう、
しかし、ものを得ることは必ずしも良いとは言えないでしょう。

財産を蓄えようとすれば必ずそれだけ多くの代償が必要になりますし、
名誉にこだわれば必ず浪費しなければなりません。
財産や名誉に囚われずに満足することばできれば屈辱などとは無縁になり、
得ることを求めすぎて深入りしなければ自らを危険にさらす事もありません。
この様にして安らかであれば平和に暮らすことができるのです。

  

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2013-01-10

陰陽

「陰陽」

陰の性質と陽の性質は、あらゆるところに存在します。
例えば、生命が生まれるためには一つの細胞から増える陽の作用が必要です。
しかし、際限なく増えてしまえば、それはただの肉塊となるでしょう。
陰の制限するという性質が細胞の増殖をコントロールして生命が形作られます。

家が形としてあるためには、物体としての陽の働きとスペースという陰の働きが必要です。
物体として陽の形があるだけでは、ただの家の形をした物体になってしまいます。
そこに陰の作用が加わり中に空間が作られると、家として機能するのです。
このように陰と陽は互いが作用を及ぼして機能が形作られています。

     

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2013-01-09

バランス

「バランス」

今の現実に実用的な効力がある考え方が調和(バランス)です。
調和の考え方は実に奥が深いのです。
それでいてあらゆる所で重要となります。
バランスとは極端になることを避ける道です。

人間のよく犯す間違いとして「やり過ぎる」ということがよくあります。
例えば食べ過ぎる、体を使いすぎる、考えすぎる。
これらはバランスを欠いた行いです。
行為には常に適量があり、それらはバランスされていれば毒になりません。

また、バランスというのは呼吸とも似ているかもしれません。
呼吸というのは肺で息を吸う吐くということだけでなく、一つのリズムです。
大きなったり、小さくなったり、増えたり、減ったり、
力を入れたり、抜いたり、せわしく動いたり、止まってみたり、
そういう一つの対照的な動きです。

例えば、今日お金をたくさん使ってしまったから、
明日は少し倹約しよう、というのも一つの呼吸です。
そういった呼吸のリズムというのが大切で、
バランスを保つためには呼吸が必要なのです。

常に行き過ぎないよう気をつけるから呼吸のリズムが生まれ、
それが物事を円滑に継続していくためには必要な心がけなのです。
これはどんな場所でも、どんなことでも、必ずあることです。
調和を心得ることは幸福の道に近くために必要なことです。
ですから、人生をより良くしたいと思うなら常に調和を心がけると良いでしょう。

    

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2013-01-09

認識の違い

「認識の違い」

神(創造主)は世界の全てを一瞬で創造した。
というと人は怪訝な顔をするかもしれません。
神はたった百何十億年というほんの短い間に宇宙を創造したのです。

そう神にとってこの百何十億年という時間は短い間の出来事だったのです。
だから我々も45億年という神の瞬きの間に生まれたのです。

  

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2013-01-06

若者と老人

「若者と老人」

若者は、あなた自身の未来を表しています。
これから彼らが世界を動かすのであって、
その世界にあなたは最も小さき者として再び生まれて来るです。
ですから、若者に責任を押し付けたり批判的になるのは良くないでしょう。
そんなことをすれば、いずれあなたが同じようなことをされる、といって過言ではありません。
ですから、彼らの助けになって至らないところをカバーしてあげるほうが賢明です。

そして老人を嘲笑してはいけません。
彼らはあなた自身の過去であり、今まであなたは彼らの側だったのです。
ですから、老人の行いが古臭くて愚かに見えても馬鹿にしてはいけません。
それは昨日のあなたの姿に他ならないからです。
老人を笑うのは、昨日のあなたを馬鹿にしていることに他ならないからです。

     

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2013-01-06

有と無

「有と無」

有の利益を獲得しようとするなら有の害悪を知るべきで。
無の利益を獲得しようとするなら無の害悪を知る必要があります。

何かを持っていないことによって困ることはよく分かると思います。
ですが、何かを持っていることで困ることも現実には往々にしてあるのです。
重要なのは有と無、持っていることと持ってないことのバランスです。
有と無は互いが補い合っていて表裏を成しているからです。

何かを得よう得よう、とばかり考えているといずれ失敗します。
得よう得ようと行動するには、それだけの労力を払わなければなりませんし、
また、何かを持ちすぎるということは、それだけ狙われたり疎まれたり苦労があるからです。
ですから、何が本当に必要で何が本当に不要か、それをよくよく考えるべきでしょう。

不要な物まで獲得しようとしない方が良い、と私は言っておきます、
それが破滅を招く原因ともなるからです。



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2013-01-06

戻っていく

「戻っていく」

物は増やせば増やすほど管理がしずらくなるでしょう。
規律は増やせば増やすほど息苦しくなっていきます。
考えは増えれば増えるほど訳が分からなくなってしまいます。

      

多くの人はこのように元あるものから分岐していく、
そのように道を進むことが多いのではないでしょうか。
しかし、智慧ある人間は分岐した道から、一つのものに戻っていくように進んでいきます。
ですから、物も規律も考えも減らせるものは減らして、さらに減らすように努めるのです。

何かを増やすということは、それだけのエネルギーをそれに割くということです。
従って賢い人間は増やすことだけでなく、いかに減らすかを考えるでしょう。
例えば、自分の部屋に物が無造作に増えていけば、あまり綺麗な部屋とは言えませんね。
掃除であれば必要な物を残して不要な物を捨てる方は多いと思います。
同じことが規律や思考にも当てはめることが出来る、と私は思います。

自分が向けなくてはいけない労力やエネルギーを増やすのではなく、
減らす道を進むからエネルギーを浪費することがなくなり、
内面は力を増して活力溢れるものとなるのです。

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