2013-03-30

霊性の最終試験場

「霊性の最終試験場」

地球は霊的な道を通る者にとって、物質的世界での最終試験場たるものでしょう。
この場所の厳しさは生半可なものではありません。
ここは低レベルな試験場ではありません。最高難易度の試験場なのです。

人は生まれる前に記憶の忘却という枷を負い、
この物質重視と荒々しい環境を克服し、
周りの霊性が乏しい中で己の霊性を発揮しなくてはなりません。

簡単に列挙するだけでも、これだけのハンデがあるのです。
環境自体を見た場合は低次な場所に見えるかもしれません。
しかし、冷静に考えればここが低レベルな場所とは考えられないはずです。
天国のようにノホホンとできる場所ではないからです。

あなたが霊性を発露しようとすると、世界はあなたの霊性を否定するでしょう。
なぜなら、それは人々のエゴにとって異質なものと認識されているからです。
ですが、それでもそれを簡単に曲げない人が本物になることができます。

そこで霊性から遠く離れてしまったり、逆に霊性に依存してしまうことは落第です。
これはある種の狂気がないと達成できないかもしれません。
しかし、霊性を養うならここでの一生が正念場です。
己の欲や負の面に勝つか負けるか、ここで全ての決着がつくからです。

   

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--関連記事--
「徳の道」---ブッダやイエスや老子がとった道
「修身」---己の内側に価値あるものを持つ

2013-03-29

三つの連携

今回は幸福を追求して苦しみを減らす最後のまとめとなります。
最後に今まで上げた三つの方法の組み合わせについてお話します。

・結果を変える
・苦しみの思考を変える
・快を見つける

というのはそれぞれ連携しています。
私が考える理想図とは以下のようにこの三つがピラミッドになることです。

   

まず結果を出すため自分ができることをすることが土台です。
その上で苦しみを減らす思考を持つ。
そして最後に快を持つ。

つまりこれは重要度を表した順番です。
結果に対して自分ができることをすることが一番重要です。
次に思考での対応が重要で、
最後に「快」がきます。

なぜこのような順番になるかといえばこれを逆にすれば分かりやすいでしょう。
まず自分の快を重視して好きなことだけをする、
そして苦しさを思考で紛らわせて、
最後にどうしようもないところだけちょこっと行動する。
まぁこういう人生も一つのあり方と言えますが、
あまり先行きの良くなる人生とは思えませんし、
大多数の人間がこんな状態であれば社会が成り立たなくなってしまいます。

そしてこの三つの内で欠けた所があればそれを補うのが一番効果が高いでしょう。
つまり三つの内自分が力を入れてやっていることより、
あんまり手を付けてない所を補強する方が費用対効果が高いでしょう。
結果に対して自分ができることをやってない人は、
それをすれば一番効果が出るでしょうし、
苦しみに対する柔軟な思考があまりなければそれが一番で、
人生に快が全くない人は快を見つけることが一番です。
なぜならこれら三つはそれぞれが支えあっていて、
弱い部分を補強する方がより堅牢で安定した精神を保てるからです。
そしてそれが幸福を生み出す精神状態に近づいていくからです。

幸福に近づくためには苦しみの対応については以上です。
三つの方法とそのまとめについて何かしらでも参考になれば幸いです。
ご覧いただきありがとうございました。

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2013-03-27

「快」を見つける

「快」を見つける

苦しみに対する3番目の対処法をお話します。
3番目の対処法は「快」を見つけることです。「快」とは楽しみを指します。
これをしていれば自分は楽しい、もしくは幸せだと思えることです。
これは苦しみに対する最後の手段です。
現実もそうそう簡単に変えられない、思考もどうしても変化できない。
そうなった時苦しみに対する一番最後にくる対策となります。
なぜなら他の手段で苦しみを無くすことができればその方がいいからです。
つまりこの方法は苦しみ自体は無くなりません。
どうしても減らせない苦しみを楽しさでカバーするという手段だからです。

「快」は例えば趣味などの楽しみです。
人に迷惑が掛からない楽しみならなんでもありだと思います。
できることなら自分の健康も損ねないものであればベストです。
人が下らないと言う楽しみでもとにかく自分が楽しければ良いのです。
むしろ人が下らないと言うから楽しめないのでは損です。
他にも人とおしゃべりしている時間が幸せと感じるなら、
その時間を多く取れるような機会を持つことです。
それで苦しみが軽減できるならそれが一番だからです。

「快」のあり方とは今起きていることや過程を楽しめるようにすることです。
結果が良くて苦しみが無くればそれに越したことはないですが、
結果というのはそう簡単に変えられるものではないことも多いですし、
100%自分の満足行く結果が出るとは限りませんよね。
しかし過程を楽しめるならば100%「快」は逃げません。
私は人生の結果よりも過程が大事だと言いたいのではありません。
過程を楽しめればそれ自体が苦しみをカバーする事ができる武器となる。
ということです。

ただ「快」を重視しすぎるとかえって苦しみになることもあります。
例えばお酒を飲み過ぎては体を壊してしまいますし、
スポーツし過ぎてかえって体を壊すということもあります。
生きていく上での「快」は常にバランスが必要です。

次「3つの連携」

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2013-03-25

思考を変える

思考を変える

今回は苦しみに対する柔軟な思考についてお話します。

苦しみは思考によって生まれます。
つまり思考が柔軟であればそれだけ苦しみを減らすことが可能です。
現実に同じ結果を突きつけたとしても、
それで苦しむ人もいればヘッチャラな人もいます。
それは現実の見え方、思考が違うからです。

苦しみが生まれやすい思考とは何か。
多くの聖者達は色々そのことについて語っていると思います。
ここで一つ挙げるとするなら執着や依存といったものがあると思います。
執着はお金や地位、知識、人、物いろいろなパターンがあります。
一つのことに囚われすぎて人生のバランスを崩してしまうのが執着です。
執着する状態とはそれがないと困るという依存状態にあります。
思考の一番良い状態は何に頼らずとも生きていられるという状態です。
まぁ言うは易し行うは難しかもしれませんが。

執着を減らすにはどうすればよいか。
まず今執着しているものは本当に必要なのかどうか。
それを徹底的に考え抜いてみる必要があるでしょう。

例えばお金を例とした場合、
本当に今以上のお金を獲得しなければならないのか、
もしあなたが今お金を獲得しようとしているなら、一度それを考えた方がいいでしょう。
富を獲得するためには必ず何らかの代償が求められるからです。
それは時間だったり、責任だったり、リスクのこともあるでしょう。
自分はそれを負ってでもお金をたくさん稼ぐべきなのか。
お金を稼ぐメリットとデメリットを天秤にかけてよく考えます。

それで実は考えてみると自分にはそこまでお金が必要ないし、
自分の人生において他にも優先したいことがある、
となれば無理に今以上に働かない方が利口で執着を一つ減らすことができます。
こうやって考えて減らせる執着は一つずつ捨てていくべきでしょう。
執着が減ればそれだけ思考が苦しみを生み出さなくなるからです。

逆に自分はどうしてもたくさん働いてたくさん稼がなければならない。
となればそれを実行する必要があるでしょう。
ただその時はそれなりの代価を払うことを覚悟する必要があります。
そしてお金に対する執着を取り払うのは諦めるしかありません。
考え抜いた結果それが必要とあればそれを取り除くことは難しいからです。
執着した状態でもいかに苦しまないで済むか考えた方がいいでしょう。

できることなら前者のように富に対する必要性を抑えることができれば
それに越したことはないでしょう。
しかし現実ではお金がどうしてもいるという場合も多々あります。
特に家庭を持てば当然そうならざる負えないでしょう。
その場合苦しみを減らすには、
お金以外の執着を減らし次の話題である「快」を増やすことが必要です。

次「快を見つける」

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2013-03-23

結果を変える

結果を変える

今回は成功哲学のようになるかもしれませんが一応書きます。

結果を変える時に必要とされるのはまず行動です。
自分ができることはやるという姿勢です。
人によって行動のレベルは差が出るかもしれませんが、
とにかく動くというのは重要です。
なぜなら結果というのは座って考えていても何も変わらないからです。

ですが、動いているのに結果が変わらない。
そういうことも現実にはけっこうありますよね。
それはどこかで自分が間違えたと考える方が良いでしょう。
努力しているのに結果が出ないのは、
努力の量が足りないか、努力の仕方が間違っているか
もしくは目標の設定がそもそもおかしい可能性が高いからです。

こういう時は周りのせいにすることは簡単です。
ですがそれをして結果が変わるでしょうか?変わらないことがほとんどでしょう。
つまり結果だけを目指す道においては人のせいにしても何にも意味がありません。
結果とは学習と実践と反省のみが意味のある世界だからです。
遊びや雑事なら人のせいにしてそれで自分の気分が収まるならまだいいでしょう。
しかし人生の重要な局面においてそんなことをすれば失敗は必至だからです。

またもし実際に周りの環境が明らかに悪かったとしても、
その中でも対応できるよう反省を繰り返すことで、
厳しい環境にも適応出来る力を身に付ける機会でもあります。
常に学習と実践と反省を意識していけば必ず結果は良い方向に向かうはずです。

次「思考を変える」

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2013-03-21

幸福を追求する方法

幸福を追求する方法。

人は生きる上でより幸せな人生を生きたいと思う人は多いと思います。
今回はその方法を考えていきたいと思います。
まず人生の幸せの定義から始めましょう。
個々人によって幸せの形というものは違います。
そのためここでは限定的な幸福については語りません。

どの人にも通用する幸せとはまず何かと考えると、
幸せの状態であるというのは「苦しみがない状態」だと私は考えます。
まず大方の人間は苦しみがあるから人生が辛いわけです。
もし仮に人生が苦しくなければ自殺しようとする人はいるでしょうか?
あなたはどうですか?人生苦しくなくても自殺しますか?
しませんよね?今それほど辛くないのに人生を捨てる人はいないと思います。
従って人生で幸福に近づくには苦しみにいかに対処するかが求められます。

では苦しみにどう対処するのか。

まず結果そのものを変える。
次に苦しみに対する思考を変える。
そして快(楽しみ)を見つける。

私の考えではこの三つです。

まず一つ目、結果そのものを変えるとは現実的に問題を解決しようということです。
つまり苦しみの原因を取り除く事ができればそれに越したことはないわけです。
極端に言えばあなたが明日10億円を手にすることが出来れば、
もう貧困に苦しむことはありません。
もしそれができるのであれば当然するべきなのです。
ここまで極端でなくとも今これさえしておけば自分の苦しみが減る、
と、思うことがあればそれをするべきでしょう。
しかし現実的にはそんな事は精一杯やっている!という方が多いと思います。
それが次の二つ目に繋がります。

二つ目は苦しみに対する自分の受け方を変えることです。
これが古来から伝わるスピリチュアル的方法の一つだと思います。
苦しみとは主観的な感覚や思考によって作られます。
同じ状況でも苦しみを作りやすい思考をすればそれだけ苦しみを増やすことになります。
逆に苦しみに対して主観の方、つまり受け方を変えれば苦しみも減ります。
現実とは精一杯闘っているがそれでもうまくいかない。

「でもそれってほんとにうまくいってないの?実は十分なんじゃない?」
「病気になったけどその病気は自分の人生にとって実は必要だったんじゃない?」
「仕事を解雇されたけど自分は職場に合わなかったしむしろ今はチャンスじゃない?」

と、思考を変え視点を変えるのが受け方を変えるということです。
しかしそれでもどうしても減らせない苦しみも出てくるでしょう。
全ての苦しみを消すというのは並大抵のことではありません。
それこそ悟ったお方でも無い限り難しいでしょう。
そしてそれが最後の対策に繋がります。

三つ目の方法は「快」をみつけるということです。
つまり苦しみを全て消すことは難しい。
では苦しみに対抗できるものが自分にあれば良いわけです。
それが「快」です。
「快」とは楽しみのことでありそれが多い程苦しくても生きる希望が出てきます。
苦しみの値が50という数値で表すとすれば、
「快」が60ぐらいあれば生きていて楽しいと言えるものだと思います。
つまり苦しさを楽しさでカバーしてしまえという発想です。
「快」というのは様々な楽しみを指します。
例えば趣味やちょっとした楽しみや幸せといったものです。
とにかく自分が今これをしていて楽しいと思えることです。
こういうものを持っていると人生で強い武器となるでしょう。
なぜなら苦しみをカバーすることが可能だからです。

次に3つの方法について詳しく書いていきます。

次「結果を変える」

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2013-03-21

幸福を追求する

ここでは幸福を追求する方法について書いて行きます。
この中ではオカルト的な方法論は極力削除しました。
オカルト的な方法は一時的には良くなるかもしれませんが、
現実的な問題点がある場合はそれを解決しなければ本当の幸福は訪れない、
と、考えたためです。
そのためどちらかというと私なりの現実的な考え方が主なものとなっています。

「幸福を追求する方法」
「結果を変える」
「思考を変える」
「快を見つける」
「三つの連携」


2013-03-19

富の扱い方

「富の扱い方」

初めから無い。ということはそれほど自分の損失は大きくないでしょう。
なぜなら、それが当人にとっては当たり前で慣れているからです。
しかし、元はあったものが無くなるという損失は大きいのです。
つまり、一度贅沢を覚えてしまえば中々戻ることができないのです。
それは一度当たり前だったものが崩れるからです。

あなたは一度富める生活をしてから貧困になったことがあるでしょうか?
逆に貧しい生活から富める生活になったことはあるでしょうか?
もし、同じ程度の貧しさだった場合、
その辛さを比較したならば、おそらく前者の方が苦しいと私は考えます。
人間は当たり前を壊されることが大きなストレスになるからです。

従って賢い者は富を持っていても富に頼らない生活をします。
富はいつ無くなっても不思議ではないからです。
必要以上を体に覚えさせなければ、いつ富を失くしても損失は少ないと言えます。
そして賢い者は、その余った不要な富を貯える道を進むでしょう。
ですが、智慧者ならば今不要な富をどうするでしょうか。
それを貯えるだけでなく分け与える道にも進むのです。

自分が不要な富を困ってる人や貧しい人に与えて助けることは、
莫大な徳を得ることが出来るからです。
しかし、これができるのは真の智慧者だけだと私は思っています。
どうすれば一番自分を豊かにするかを理解しているからです。

    

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--関連記事--
「与えたものが帰ってくる」
「満たされる」
「与える時の注意」

2013-03-17

存在するなら価値がある

「存在するなら価値がある」

創造は100%ミスをしません。
それは人知を超えたものだからです。
あなたが神(創造主)に創造された。
それは世界があなたなしでは完成しなかったからです。

存在しているということは存在する価値があるのです。
それはあなたが何をしているか、という問題ではありません。
存在することに価値があるのです。

なぜそうなるのかと言えば、我々が全員で一つであるからです。
つまり、我々は虹の色のようなもので、どの色が欠けても虹は完成しません。
それどころか一部だけ欠ける、ということができません。
そして全員が揃って完全な人間という種として機能するからです。

なぜ我々は一体であるのか、
それは体の細胞がたくさん集まることで人体が作られるのと同じです。
体には不必要な部分は無いですし、また付け足す必要もありません。
全体が一つになって完成するようにできているからです。

それは人間という種が個人という存在が集まって完成することと同じなのです。
個々の人間がそれぞれの存在としての役割を持つことで、
人類という一つの個体が構成されるよう我々は創造されたのです。
それは個人が単純に存在しているだけでも機能しているのです。

そして、その役割の比率のバランスは一定の基準に保たれています。
つまり、活発な人や穏やかな人、面白い人や優しい人、
そういった特性の比率は一定の割合に保たれています。
それぞれの人間がそれぞれの役割を持っているから、
人類という一つの個体がうまく機能するのです。

従って、この世界に無駄な人は一人もいません。
ですから、次の法則が存在します。
創造に必要ないものは創造されない。



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--関連記事--
「位置」
「ただ在ること」

2013-03-15

循環と死生観

血液が体内を循環することで人体の機能が保たれます。
水が地球の中を循環することで生命が保たれます。
惑星が太陽の周りを循環することで太陽系が保たれます。
我々の世界は循環することで保たれています。

では、私達はどうなのでしょうか。
この世のあらゆるものが循環することで成り立つなら、
私達生命もそのシステムに組み込まれているでしょう。

私の死後の世界の想像はそういう考えに基づきます。
エネルギーは形を変えても残り続けます。消滅することはありません。
それは別の形となって世界を循環し続けるからです。
物質はエネルギーと同じものですから、それは物質にも適用されます。

   

ですが、私達は死ねば無の世界に放り込まれて消え失せるのでしょうか?
それは私から言えばあまりにも突飛な話です。脈絡がありません。
意識というエネルギーが突然現れて突然消滅できる訳がないと考えます。

あなたは人が死ぬことで、世界からその人が消滅したように思うかもしれません。
ですが、それはエネルギーが変化するように存在の形が変わる、というだけです。
それと同じく生まれてくる子供は突然現れたわけではありません。
元々あったエネルギーが形を変えて現れただけのことです。

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2013-03-13

徳の道

「徳の道」

人の世の中で仕事をすれば報酬がある、というのは当然のことです。
ですが、霊的な事柄で仕事をすれば自分に帰って来るものがあるでしょうか。
現実的に何を獲得する、ということは言えないかもしれません。

霊的な成果を金銭的なものにしてしまう組織はあるかもしれませんが、
本当に霊的な仕事には、あまり金銭的な実りがないかもしれません。
しかし、なぜそんなことをする人間がいるのかというと、
それらは単なる狂言ではないからです。

ブッダやイエスや老子が一文の得にもならないのに、
人々に語ったのはなぜか。
それは間違いなく金銭を超えたものを獲得していたからに他なりません。
あえて言葉で表すとするなら徳でしょう。

では徳が一体なんの役に立つのか?
それは死んでからでないと分からないかもしれません。
ですが、世に現れた聖者はそれを選んだのです。

   

徳の道を進むものは最も利己的です。
社会に出てお金を自分のために獲得することと本質的には変わりません。
ところが徳の道を進むと社会的には利他的と見なされます。
本当に自分のこと考えていると他人を思いやることに行き着くからです。

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2013-03-11

内側の成功

「内側の成功」

一般的に成功と言われてる多くの事柄が社会的なものであると思います。
ですが、内側の成功というものも存在するでしょう。
個人の問題の解決や家族の調和といった小さい輪の中の成功です。

重要なのは社会的な成功だけを選ぶことではない、と私は考えています。
つまり、幸福や豊かさというのは社会的な成功を収めたとしても、
内側がバラバラではとても望めないということです。
例えば、いくらお金や名誉を持っていたとしても、
家族や身内が憎みあっていれば心に平安など訪れないでしょう。
従って私は内側の成功を社会的成功の上に置いて考えています。

個人的な課題を解決できる力や家族を調和させることができる、
といった事柄はそれだけで一つの成功者ではないでしょうか。
金銭や地位の華やかさやだけが成功者の姿ではないでしょう。
たとえ目立たなくても成功の機会はあなたの目の前に転がっているものです。

   

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2013-03-09

受け継ぐ

「受け継ぐ」

人間が受け継ぐべきものは形を変えていくものです。
人の中には形に囚われる、という過ちを犯します。
本当に受け継がれるものとは形を変えて変化していく物です。
変化とは生の証であり活力の根源です。

単純な例を一つ挙げましょう。「言葉」です。
言葉は形を変えていきます。それは時代と共に生きているからです。
言葉の表現が変わると歴史が損なわれる、と怒る人間がいますが
それは全くの間違いです。

変化しているから活き活きとしてるのです。
しかし、変化していても人に意思を伝えるという本質は変わりません。
このように変化しても本質が変わらないものが生命です。
むしろ形が変化しなくなった時、それは死を迎えます。
消滅した文明の言葉も変わっていくことはありませんよね?

だから変化を恐れるべきではありません。
変化しても本質を失わないことが歴史を受け継つぐということだからです。

     

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