2013-05-31

真の存在

「真の存在」

<真の指導者>とは追随者が一番多い者ではなく、
最も多くの指導者を創り出す者である。
<真の王者>とは家臣が一番多い者ではなく、
最も多くの者に王者らしい尊厳を身につけさせる者である。
<真の教師>とは知識が一番多い者ではなく、
最も多くの者に知識を身につけさせる者である。

                        「神との対話」文庫本p.196より。

神との対話で語られているこの言葉は、非常に興味深い見識です。
つまり、これは本当に価値の高い存在とは?ということを語っています。
ここで共通することは、いかに他者に与えることができたか、
ということで価値が計られるということです。

一般的には地位が高かったり名誉があるから、という理由で相手は偉い、
という発想をしている方も多いのではないでしょうか?
実はそういうものは、真の偉大さとは全く無関係なものなのです。
自分がどれだけ立派になったかではなく、いかに多くの人を立派にできたか、
そちらの方が偉大さにとっては重要なのです。

他者に対する指導ということを例にとってみると
指導者の価値は指導する人間の知識量や、
教えた人間の数によって計られるものではありません。

TVで100万人に物事を広く浅く伝える指導者と、
一人一人に合わせて、より深い所まで理解をさせる指導者。
それらの価値は、受け手がどれだけ得たものがあるか、
それのみによって優劣を判断するべきです。

真の存在となるためには、いかに他者を高めることができるか、
それが最も重要なのです。

   

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2013-05-29

我々の時代

「我々の時代」

我々の時代は変革の時代で、
有史以来、もしかしたら地球文明以来最も躍動的な時代です。
科学や技術といった進化に加え、もっと重要なのは思考の進化です。
そういった変化は、この時代以上に驚かされる時代は無いでしょう。

そこかしこから全ての思考の変革が始まっています。
一番良い例が、インターネットの発達です。
より広範囲で迅速な情報交換が可能になったことで、
一つの出来事に対して、様々な意見を交換できるようになりました。

それが人々の思考の進化を加速させています。
その流れは全てのシステムや現実を変えていくもので、急速に進んでいます。

この時代に生まれて来ることを、私が選んだのは間違ありませんし、
あなたもそれを選択して、この世界にやってきたのです。
そして、一番大切な思考の変革とは、
外側から来るものではなく内側からやってきます。

あなたの内面が進化すること、
それにより、あなたが世界に対してより良い影響を与えることになり、
世界が大きく変わる時代になるということです。

   

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「自分で答えを出す世界」---これからの時代について。
「危なげな時代」---進化の危険な側面。

2013-05-27

手を空にしてこそ

「手を空にしてこそ」

私はここで私の常識を書いているつもりです。
ここにある言葉のほとんどは私のオリジナルではないですし、
私はただ借りてきたものを、ちょっと自分流にアレンジして使っているだけです。
しかしそれで十分なのです。
世界に本当に目新しいものなど何もないのです。

多くの革新的な思考とは、突然天啓のように訪れるものではありません。
今まであったものを組み合わせたり付けあわせたり、
応用することで目新しく見えるだけです。
そして、新たに出来上がったものも、そのうち素材となり、
また新たなるものの土台となるのです。

さて、私はこの言葉達をいずれ返さねばなりません。
そして、手を空にするように今まで得てきたものを手放さなてくては、
私は存在する価値がありません。

手を空にするからこそ、新しい発想ができるようになるし、
一つの状態にこだわらないから、進化することができるのです。
ですから、いずれ書いてきた内容と今の私に食い違いが出るでしょう。
しかし、それが普通で、進歩するためには変わっていく必要があるのです。

私達は創造者ですから、不必要になった素材は手を放し、
自分にとって最高の答えを、常に創造していかなければならないのです。



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「+1」---今より一歩進むこと。

2013-05-25

希少なもの

「希少なもの」

この世界において、希少なものは価値が高くなります。
これは何も物質的なものに限ったことではありません。
稀な人間性、というのも価値が高くなるのです。
人と違うことしなければならない、とは言いませんが、
皆と同じことばかりしていれば、その人間の一般的な価値は高くなりずらいものです。

なぜなら、いくらでも代替が利くならば、その人間の価値が値切りされるからです。
コモディティ(個性が無く汎用的なもの)な物は、
替えが利くので当然買い叩かれてしまいます。
例えば、落ちている小石が全てダイヤだったらダイヤには高い値がつかないでしょう。

むしろ、逆にただの小石の方が価値が出ることになるかもしれません。
つまり、他と違えば良くも悪くも価値が出てしまうものなのです。

誰も考えないことを考えられることは貴重です。
多くの人があまり目を向けない思考ほど、その価値は高くなります。
それはスペシャリティ(特殊性)という付加価値がつくからです。
だから、私はそういった価値を持つ人間を目指しています。

  

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「ありのまま」---ありのままの思考

2013-05-23

世界を変える鍵

「世界を変える鍵」

犯罪の被害者と加害者は、社会というシステムの欠落のツケを受ける者達です。

なぜ、加害者が被害者と同じ扱いなのか。
加害者というのは、システムの欠落によって犯罪を起こさざる負えなかった、
という被害者だからです。

誰も取りこぼしがない環境を作ることができていれば、
多くの犯罪者は犯罪をすることはなかったでしょう。
つまり、多くの罪人は犯罪を起こしても意味が無いほど十分な環境だったならば、
そんなことはしなかったはずです。

そういった理想的なシステムの構築を阻んでいる原因は、
このブログのテーマである思考です。

犯罪を起こしても意味がないような世界を作るためには、
生きる上で必要なものは分かち合っていなければならず、
不満を抑圧するようなことは極力避ける必要があり、
そして、人間の生活が競争原理で成り立ってはいけません。

分かち合っていれば十分に行き渡るし、
抑圧していなければ反発は生まれないし、
競争原理でなければ人々は心穏やかでしょう。

こんな言葉は馬鹿馬鹿しくて現実的でない、
ユートピアのように聞こえるかもしれません。
しかし、本当に発達した進化した社会とはそういうものです。

それを具体的な現実にしていくのは、
あなたが今の世界の独占的思想やネガティブな発想、
生存を賭けた競争への煽動を拒否できなければならないのです。
しかし、今すぐに世界の全てを変えよう、といってもそれは無理な話です。

こういった本当の変革というのは、大々的に始めてうまくいくものではないのです。

全ては最も内側である自分の思考から、
そして、小さな所から僅かの人間から少しずつ変えていくしかありません。
変革は最も内から外へ世界へと向かっていくものだからです。
最も内側の変革こそが世界の変革のきっかけとなるのです。

だから、個人という存在の力を侮ってはなりません。
それは最も内側にあるもので、全ての起点になるのものだからです。
世界を変える力は自分の内側にあって、変革の鍵はあなたが握っているのです。

 

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--関連記事--
「犯罪者」---犯罪者について。
「内側の成功」---成功とは華やかなものとは限らない。

2013-05-22

集合定思考5


「一つ減らすこと」
「世界を変える鍵」
「希少なもの」
「手を空にしてこそ」
「我々の時代」
「真の存在」
「トータルで見る」
「効率の問題」
「価値観を崩す」
「指導のコツ」
「笑われる」
「人生は戦いのようだ」
「困難と行動」
「過去を切り捨てる」
「悪人の姿は我々の鏡である」
「偽物を見分ける方法」
「貧富の差の拡大」
「機会は必ず訪れる」
「人体のエネルギー「気」を養う」

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2013-05-21

神のメッセージ

「神のメッセージ」

私は思考の変革のために、
私ができることをするつもりで、こうやって記事を書いています。
私はそうすることで、どこまで私の単純な思考について理解を示す人がいるか、
それを観察しています。

多くの人が言葉で私の思考を理解できるかどうか、
それによって、私が方法を変えて行く必要があるからです。
多くの人がこういう考え方もあるのか、と前向きになれればそれでいいし。
多くの人に批判的な意思を持たれるなら、私はこの方法を止めねばなりません。
しかし、私が伝えようとすることは変わらないし、形が変わるというだけです。

神(創造主)もあらゆる方法で人類に啓示を与えようとします。
神のメッセージは必ず決まった方法、決まった場所から出るものとは限らないのです。
つまり、ご神託でなければ神のメッセージが得られない、
というのは間違いです。

あなたにとって必要なメッセージは、人々が悪と呼ぶ人間から来るかもしれません。
ですから「この場所にさえいれば、これだけしていれば神のメッセージを得られるんだ」
そう考えるのは神のメッセージの在り方を理解していません。

神には固定された在り方がないのです。
ですから、あらゆる人物や方法を使って人々にメッセージを届けようとします。
形に囚われることなく、神の知らせを受け取ることができる人は、
覚醒への道も近いでしょう。

あなたの明日の師は、昨日あなたが馬鹿にしていた者かもしれないということです。

     

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--関連記事--
「神について」---神(創造主)とは。
「神の視点」---神は崇拝を求めない。

2013-05-19

善悪や正邪で判断しない

「善悪や正邪で判断しない」

この世界の出来事には、100人いれば100通りの見方があります。
つまり、100人の人間がいれば、100通りの真実があるということです。
善悪や正邪と言った観念も、大まかには一致する部分もあるかもしれませんが、
環境や人自身によってマチマチで当たり前なのです。

そもそも善悪や正邪といったものも、
本当に自分で考えた結論なのか、良く考慮した方がいいでしょう。
大体の人が世間で良い悪いとされているからとか、本に書いてあったからとか
ある種惰性的な考えで、思考を止めてしまっているのではないでしょうか。

それに善悪や正邪というのは、
案外に移ろいやすいもので絶対的な指標にはなり得ないものです。

ですから、新しい思考を取り入れる時に、何を指標にすればいいかというと、
善悪や正邪といったものではなく「自分にとってどう役に立つか」
そう考えるほうが、建設的で積極的なあり方だと私は思っています。

そして、自分にとってこれは真実とは思えないし自分とは合わない、
そう考えるならば、そういった考えは捨ててしまうべきだと思います。
特に世間や周囲がそう言うから自分もそれに従う、
というのは、人によって大きなストレスとなる場合もあるからです。

ですから、ここに書いてあることそうですが、
それ以外の情報に対しても不必要な部分を捨てて、
自分が納得できたり、自分に合っている、と思う部分だけ取り入れれば良いと思います。

また、今という時代は多様な価値観を持つ人が増えてきていると思います。
そんな中で重要なことが、他人の価値観を否定せず許容することだと思います。

「あいつの価値観は間違っているから徹底的に批判して正してやる」
そういう発想で多様な生き方を否定することは、大きな反発を生みかねません。
例え、それが自分からみて100%間違いだとしてもです。

「あいつは俺から見たら不幸だけどあいつが幸せならまぁそれでいいか」
そういったある種見放しのような許容の気持ちを持つこと、
それがこれからの世の中には必要だと思います。


  

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「スピリットバランス」---新しい在り方を模索する時。
「新たなこと」---新たな思考取り入れる時。

2013-05-17

競争主義について

「競争主義について」

私は競争という考え方を無くそうとは言いませんが、
競争主義の結果、生きることが困難になる世界はどうかと考えています。
競争はあっても良いと思いますし、競争を意識することでより成果が生まれる事実。
それらは否定すべきではありません。

ただ、競争の結果が生活という人間の根幹に、
大きく関わるような事態は避けるべきだと考えています。
競争に勝とうが負けようが、満足に生きていくことには支障が出ない社会が理想と言えます。
子供に勝たなければいけない、何かに負けることは愚かだ、
そう教えなければいけないのは、おかしいと感じるのです。

今まで人類の意識は、この競争のシステムを変えることができなかったでしょう。
というのも勝者が全てを奪い取り、敗者は何も得られない。
そういった二元的な在り方から抜け出すことを、
多くの人間があまり考えないためだと思います。

また、富の扱い方に関しての意識も、あまり高いとは言えません。
富が必要な社会を作って置きながら、
一方では、ほんのわずかの富も獲得できない存在がいる、
そんな世界を良し、としてきたことにも問題があります。

実は、この強者が弱者を虐げる世界で、一番危険なのが強者になった側です。
弱者を虐げる強者、というのは今は良いかもしれませんが、
後々に自分の行いが帰ってくる、そういうことを考えると、
あまり良い展望は見えないからです。

人類は与えたものが帰ってくる、
という単純な思考にも理解が行き届いていないと思います。
もしかしたら、この法則が科学で証明されるまで、
人類は知らないふりをするかもしれません。

では、我々の時代は何をすればいいのか。
一つは調和に従った世界を選択していくことです。

誰かが得すぎれば誰かが失うことは当然のことです。
ですから、そういった二極化を大きく広げないよう常に意識を配らねばなりません。
そして、それを目指す上で最も重要なのが、
一人一人が調和の思考を獲得することです。

調和の思考の深い部分まで理解できなくても、
何かに偏り過ぎないという思考だけでも十分です。
全ては思考から始まります。思考を変えるということが最初の一歩です。
一見、何にも変えられないようなこの最初の変革こそが、
全てを変えるきっかけに繋がるのです。

   

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「お金のあり方」---富の注意点。
「権力者と大衆」---支配者を生み出すもの。
「思考」---思考と現実の関係。

2013-05-15

もし私が

「もし私が」

もし、私が競争に長けた人物であれば、競争に勝つことしか考えなかったかもしれません。
もし、私が裕福な家庭で育ったならば、分け与える偉大さを理解できなかったかもしれません。
もし、私が患いを持たなければ、人生をもっと粗雑に扱ったかもしれません。
もし、私が学者のように知識を貪るように得ていたら、
そのために自分の真実を失っていたかもしれません。

そういう意味で私は幸運だったと言えますし、見えない利益を得ることが出来ました。
ですから、逆に一般社会的に良いと言われていることも、
本当の意味で自分に良いか、というとそれは人生が終わってみないと分かりません。

今の私は一般的な指標からすれば、豊かな人生とは言えないかもしれません。
私の生き方も亀のようにノロイものかもしれません。
一般的にも上を目指して昇っていく人生は輝かしいもの、と言えるかもしれません、
ですが、今いる場所の長所を理解して、ことさら動こうとしない選択も一つの在り方です。

物事には必ず長所と短所があり、
むやみに利益を求めれば、そのために失うものが必ずあるからです。

ですから、私は一般的な指標の良し悪しよりも、
今の自分に合っている最善の選択とは何か?を考えること、
そちらの方が人生の選択には重要だと考えています。
時に、その選択で世間的な見栄えが悪くなることもあるかもしれません、
しかし、自分にとって合っている生き方は、無理なく長続きすることができると思うからです。

      

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「ありのまま」---長所と短所の関係。
「やりたいことは今始める」---人生を高めるなら。

2013-05-13

能力が高いと

「能力が高いと」

能力を磨けば磨くほど、それは鋭敏になっていくでしょう。
しかし、磨けば磨く程扱うことが難しくなります。
それは使い方によっては悪用もできてしまいます。

鋭くと尖った刃物は折れやすいもので、
やたらと振りまわせば危険なものです。
鋭く尖った刃物は扱いに気を使わねばなりません。
それと同じで、能力も鋭くなるほど扱いが難しくなるのです。

ですから、磨いた力はそっと鞘に治めるように扱わなければなりません。
磨いてしまえば、もう戻ることは難しいものですから、
時には隠したり、知らない振りをしなければならないかもしれません。
「能ある鷹は爪を隠す」という言葉もある通り、
賢い人ほど自分の高い能力のマイナスの側面に気づいています。

そして、能力が高いからといってそれを誇示したり、悪用する、
そういったことをすると剣が折れるように破滅を導くことになるでしょう。
ですから、能力のある人ほど謙虚に誠実に生きなければならないのです。

   

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「屈していれば」---剛強より柔弱の方が安全といえる、なぜか?
「争わないか生き残る」---失敗しない生き方

2013-05-11

天秤のような公正さ

「天秤のような公正さ」

組織を束ねる者は、賞罰に関する実権をしっかり握っている必要があり、
そして、その権限の行使は天秤のように常に公正でなければなりません。
地位が高い者であっても、罰則を犯せば処罰を下さねばなりませんし、
地位の低い者でも、功績を上げれば褒章を与えねばなりません。

地位が高い者にも罰則を適用しないと、長としての威厳が失われることになります。
組織の威厳が無くなる損失は、地位が高い者を罰する損失よりも大きいのです。
それに一度罰則を許してしまうと、どこで線引をするかも曖昧になり、
ゆくゆくは、気まぐれのような匙加減で組織を運営することになりかねません。

「泣いて馬謖を切る」という言葉もある通り、
例え優秀でも地位が高い者でも罰則は適用しなければ、
組織の威厳が失われ、組織をうまく束ねることはできません。

逆に地位が低い者に陽の目を与えなければ、士気が下がると言えます。
なぜなら、いくら頑張ってもいい思いができない、
そう悟られてしまえば、それ以上の努力をしなくなるのが人間です。

成果を出すならば、例外なく褒章を与えねば人のやる気は引き出せません。
そしてやる気のない人間が多くを占めるようになった組織には、
輝かしい将来など訪れるはずもないでしょう。

こうして天秤のように賞罰は公正でなければ、長としての役目を努めることができません。
人間はともすると情や欲に流されて判断を失うし、心は貧しくなりやすいものです。
ですから、人間としての明智や「徳」がなければ長としての働きはできないのです。

   

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「人間育成」---効率的な人間育成とは。
「弱者と強者」---強者は弱者をどう扱うか。

2013-05-09

内面の進化

「内面の進化」

どんなに高度な科学や学問があったとしても、
今の人間の延長線にあるならば、その価値は内面の進化に劣るでしょう。
科学や技術といったものは道具に過ぎません。

どんな高尚な物を作ったり、手に入れたとしても、
我々は生きていくことに変わりません。
つまり、人として生きている以上、いくら科学や技術が進歩しようと、
生きるテーマは変わらないのです。

重要なのは、どれだけ生活が豊かになったかだけではありません、
我々が生きていく上で、どこまで人間性に磨きをかけることが出来たか、
ということです。

ですから、外見が変わったから人間が進歩したか、
というと、それは全く関係がありません。
金槌が大きくなって便利になったとしても、
あなた自身が成長できていなければ、大きな進歩とは言えません。
金槌が大きくなったことで自分が成長した、と勘違いすることは良くないことです。

例え王様であったとしても、その玉座には自分の尻で座らねばなりません。
つまり、どんなに外見を豊かに繕っても人は人を越えることはできません。
それは、科学や技術を使うことができるようになった人類にも言えることです。
人としての本質は、外面を変えることで変わるものではありません。
ですから、人間の進化や進歩は外見によって判断するものではないのです。

環境がより改善される、それは良いことでしょう。
ですが、それに満足して内面の進歩が止まってしまうのは良くないことです。
外面の進歩にだけに囚われて、内側の歩みを疎かにしてはいけません。
内側を豊かにしてこそ輝かしい未来があります。
それは人としての可能性を最も高めることだからです。

  

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「危なげな時代」---人類は危なげな場所に近づいてる。
「修身」---内側に価値を見出す。

2013-05-07

神の視点

「神の視点」

あなたは神(創造主)の視点について考えたことがあるでしょうか。
もし、一度でもそれを考えてみたことがあるなら、
宗教の神は何かおかしい、と感じたことがあるかもしれません。

彼(彼女)は何にでもなれるし、何でもできます。
あなたはその自由さが理解できるでしょうか。
例えばやろうと思えばいつでも世界を壊すことだってできますし、
宇宙をもう一つ創造することもできるのです。

そんな彼が崇拝を求める?なんのために?
宇宙を創造出来る彼が人間の崇拝を求めるでしょうか。
この世界には祈らないと神の怒りに触れると教える方もいるようですが、
人間の神とは、そういう次元の低い存在のようです。

人間は制約にがんじがらめになっていて
ですから、神にも制約があるのだろうと勝手に妄想します。
ですが、残念なことに彼は何も制約がありません。
彼は全ての行動が自由で全ての願いは叶えられます。

人間が崇拝する神は本当に偉大な神なのか、
一度よく考えてみると面白いかもしれません。

 

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「神について」---神とは。
「ただ在ること」---喜ばしいこと。

2013-05-05

人間育成

「人間育成」

「人間の育成において重要なのが少しダメな人間によく手をかけよ」
という考え方がある本に書いてありました。

どういうことなのかと言うと、
できる人間というのは、それほど手をかけなくても勝手に成長していきます。
逆に全くダメな人間は本当にどうしようもできません。
ですから、その間のちょっとダメな人間を育てることが
組織の総力を上げるには一番効果的だと言えるため、ということです。

また、できる人間というのは上昇志向も強いことが多いでしょう。
従って手をかけて育てたとしても、今の場所に留まる可能性は高いとは言えません。
逆に自分に実力がない人ほど、組織にしがみつこうとする傾向があるそうです。

つまり、人間育成に見返りを求めるなら、
できる人間にだけ多く手をかけるのは、リスクが高い行為なのです。
なぜなら、できる人間に多く手をかけても辞めてしまう可能性も高いからです。

精神世界的解釈ではダメな人間、弱い人間に手をかけることは調和への道です。
手をかける行為とは、それを強くすることだからです。
逆に強いものをより強くする、弱いものをより弱くするというのは、
アンバランスを誘引することに他なりません。それは「道」を無視した道です。

全体の効率として見た時にも、
まず、弱い方、ダメな方から改善や補強するのが得策です。
そうすることで全体の総力が上がるからです、

つまり、人間の育成においてもバランス、調和の道が大切なのです。

      

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「バランス」---調和の考え方。
「スピリットバランス」---スピリットバランスとは。
「自然なあり方」---「道」のあり方。

2013-05-03

やりたいことは今始める

「やりたいことは今始める」

すぐ役に立つという物は、それ以降は役に立たなくなる可能性は少なくないです。
逆にすぐ役に立っていない物は、いつか役に立つ可能性があります。
今だけに集中して自分を高めようとすれば、とりあえず結果は出るでしょう。
ですが、更なる持続や発展は難しいことも多いと思います。

今下らないと考えていることも、いつ役に立つということは分かりません。
人生は無駄と思える部分が、突然陽の目に当たることもあります。
そうであるならば、人生をより高い視点で生きるためには、
一体、何を基準に考えていけばいいのでしょうか?

私だったらこう答えます「今やりたいことをやりなさい」
バシャール流に言うとワクワクすることをやるということです。
人間の直感というのは恐ろしいもので、
1000年先の未来を見通すと私は考えています。

人生はいつまでも機会を待ってくれるとは限りません。
回り道をすることが時に重要かもしれませんが、
今やりたいことに向かわなければ、いつ向かうのでしょうか。
それを曖昧にしていると、すぐに人生は終わってしまいます。

一回の人生で学べる体験を最大限活用しようと思うなら、
できることからすぐに手を着けるべきで、
それは今年、今月、今週、今日、「今」から始めるべきなのです。

      

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2013-05-01

人に分け与えるには

「人に分け与えるには」

人に自分の持っているものを分け与えるためには、
まず、自分がそれを十分に持っていなければなりません。
例えば、お金や技術や知恵といったものも、
自分が持っていなければ、他人に分け与えることはできませんね。

ですから、まずそれを十分に獲得しておかねばなりません。
そして、十分にそれを獲得したら分け与える道を考えればよいのです。
逆に十分に獲得しているのに、それを分け与えようと考えず、
さらに獲得しようとだけ躍起になるのは、せっかくのチャンスが無駄になります。
何のチャンスかと言うと徳を積むチャンスです。

例えば、ある面で人より知識や技術を多く持っているなら、
それを求めている人に教えてあげる。
というのも立派な貢献で、徳を獲得できると言えます。
人に求めていることを教えるというのは、
教える側も教わる側も共に利点があって良いことですね。

ですから、現実の利益を十分に獲得したら、
今度は目に見えない徳といった利益も獲得した方が良いでしょう。
現実の利益と徳といった利益、
その両方をバランスよく獲得することが大切です。
そうすることで自分の未来がより豊かになるからです。

   

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「徳とは何か」---徳について。
「徳の道」---聖者の進んだ道とは。

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