2013-06-30

著者、著書の紹介

「著者、著書の紹介」

精神世界に生きる人間にとっては世の中金が全て!
とは言い切れないものはあると思う、
しかし実際社会自体は金で動いている。
また真面目に精神世界と関わろうと思ったら金は関係ない、
むしろこちらから差し出さねばならない。と、考えている方もいるのではないか。

そんな中そういった固定観念を真っ向から否定し、
真剣にオカルトと金を直接結びつけた本が世にある。
高藤聡一郎氏の「仙道帝財術入門」である。
著者は気功、瞑想等を主体とした「仙道」を体現した数少ない人物である。
まぁ一般人から見れば胡散臭い人物であると思うが、
実際この人の著書には今のTVで取り上げられる健康法などが、
70~80年代などの著書にサラっと書いてあったりする。
真剣に「超人」を目指す方法を具体的に書いてあるのもすごい。
(実際には本ではとても伝えきれないし実現は難しい、が、その具体性は他に類をみない)
まぁ著者についてはこれくらいにして詳しく知りたい方は後は各自で調べて頂きたい。

その著作の中でも一番現代人が喜びそうなのがこの帝財術である。
もうこれはそのままで、ようは気功で金儲けしようぜ!という本である。
ただ残念ながら高藤本シリーズは軒並み絶版となっており入手困難だ。
それに加えて中古価格も(とくに帝財術は)恐ろしく高い。
そのため書評として役に立ちそうな部分を一部引用してみたいと思う。

因みにお金を既にたくさん持っている方については本で除外されている。
既に金があるなら帝在術に向けるエネルギーをもっと大切なことに向けてほしい。

次回から本の内容を抜粋してお伝えするのでお楽しみに!

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2013-06-30

オカルトで金を儲ける

ここでは金とオカルトを直接結びつけて、
オカルトな方法で金を稼ごう!というのを目的とした記事をあげます。
実は既にそういう本が世に出ているので抜粋したものを紹介します。

「著者、著書紹介」
「金がない人間のタイプ」
「各タイプの対処法」
「あとがき」

2013-06-28

機会は必ず訪れる

「機会は必ず訪れる」

人間として生きていれば、不幸と思える状況が必ず訪れます。
そんな時こそ考えなければいけないことは、
その不幸をすぐ幸福に取り戻そうと焦らず、一旦冷静になることです。
焦れば焦って動きまわるほど、余計ドツボに嵌ってしまいます。

人生に訪れる不幸は、どうやっても防げません、
しかし、逆にどんな人生でも必ず好機がやってくるものです。
人の運勢は天気のように変化があるものなのです。
重要なのは不幸を嘆いて悲しみに浸るのではなく、
人生の次の好機に備え、準備を整えることです。

チャンスを結果に繋げるためには、しっかりとした準備が必要です。
まず、情報のアンテナを張り巡らせ、好機に気付かなければなりません。
好機は必ず訪れるものですが、
いつ来るか、どう来るかは分からないものです。だから焦らないことです。
焦って好機を取り逃がしてしまうことが、一番よくありません。

ゲームや競技において、全くミスをおかさない人間はまずいません。
しかし、そのミスをいかに取り戻すか、ということが重要です。
それと同じように、不幸になることは人間として当たり前のことで、
そこで挫けてはいけません。

重要なのは、次のチャンスを逃さないように網を張って待つことです。
きちんと準備をしてアンテナを張っていれば、
必ずあなたにも、あなたの望む機会が訪れます。

   

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2013-06-26

貧富の差の拡大

「貧富の差の拡大」

アメリカのシリコンヴァレーと呼ばれる地域で、
ホームレスといった貧しい人間が増えているらしい。
シリコンヴァレーと言えば、アメリカを牽引する力を持ったIT企業が集まっている。
そこで豊かになる人間がいる反面、貧しくなっていく人間が増えているというのである。

まさに現代社会の縮図である。
富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧しくなる。
個人的には、ルネッサンス時代の風刺画にでもなりそうな図柄だと思う。
「富めるIT強者とホームレス達」・・・なんちゃって。

さて、お遊びはここまでとして、
富める者がますます富み、貧しいものがますます貧しくなる、
という状態はエネルギーが溜まっていく状態と似ている。
弱者は追い詰めるほど反発の力が強くなっていく。
それを抑えこもうとすると、さらにますますそれは強くなる。

それさえ理解していれば、時代の先を読むのはそう難しくない。
富める者が富をなんらかの形で手放し、ニュートラルな状態に戻る未来か、
それとも反発するエネルギーが臨界点を迎え、破壊的な結果になる未来か。
もしくは、世界の驚異的な技術的革新によって多くの問題が解決する未来。
といったものも考えられる。

個人的に今の人類には、とても1番目の未来は望めないと考えている。
と、すると技術的革新によって、富の問題が解決する未来もありえるが、
破壊的変化が起こりうる可能性も十分ある。

それが起こるとしたら、どんな形になるかは想像はつかないが、
一度反発するエネルギーが形になると、
それは瞬く間に全世界へ影響を及ぼすことになる。
どちらにしても重要なのは、
この先このまま進めば、社会に大変化が訪れるということである。

それを踏まえて大切なのが
①どんな状況になっても活動できるよう健康に気をつけること。
②富に執着して命を落とすことのないよう思考を変えておくこと。
③変化が来ても柔軟に対応できるよう必要以上を体に覚えさせないこと。
以上のようなことが挙げられる。

どのような変化が起こるか、その時になってみないと分からないが、
特に富に関しては、積み上げてきた物の価値が大幅に目減りする、
という可能性があることも覚悟しておいた方がいい。
富をいかに減らさないというより、いかに富を使わずに豊かな生活ができるか。
といった方向にシフトする方が、リスクが少ない考え方だと個人的には考えている。

    

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--関連記事--
「強者と弱者」---今までの時代のあり方
「お金のあり方」---富の性質。
「満たされる」---豊かな者がとるべき道。

2013-06-24

偽物を見分ける方法

「偽物を見分ける方法」

精神世界において一番怪しい人間とは、
「我こそは」と大々的に言い始める人間です。

我こそは、宇宙の使命を受けた唯一の人間である。
我こそは、全人類の頂点に立つリーダーである。
自分を必要以上にやたらと持ち上げる、
こういったことを言い出す人間は、偽物もしくは怪しい人である可能性が高いです。

大体もし本当にそうだとしても、なぜそれを公表しなくてはならないのでしょう。
別に公表せずとも、本当にそうならいずれ証明されるはずです。
つまりそんなことを言い出すということは、当然それなりの理由があるわけです。

そういった人物は意識的か、無意識的に選択しているのかわかりませんが、
自分を持ち上げて欲しい、またはそれによって名声を得たい、
そういった思考をしているに他なりません。
つまり自分を称号によって持ち上げようとするのは、
ブラフ(嘘)を平気で言える人物か、自己顕示欲が強烈な人物に該当します。

ですから、客観的な実績が証明できない称号によって人物を判断するのは、
危険極まりない行為ではないか、と私は考えています。
何も自分から主張する人物全てが怪しい、と言いたいのではありません。
まず、どんな人間でも疑いの目を持ち、そこから客観的な事実を評価し、
信頼にたる人物かどうか、判断する必要があります。

大体、本物は自分から強い主張をしません。
なぜなら、強い主張をせずとも人は集まってくるし、実力がある人間は吠えません。
おそらく、ブッタやキリストも自分からグイグイ主張するタイプではなかったでしょう。
残した実績や成果によって、自然と認められたはずです。

ですから、皆さんも自分から称号によって自分を持ち上げようとする、
そういった人物には気をつけてください。
そういう人物についていくと時間の浪費になるばかりか、
後で大変なことに巻き込まれるかもしれませんよ。

    

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--関連記事--
「本当に良い物」---気付かれづらいもの。

2013-06-22

悪人の姿は我々の鏡である

「悪人の姿は我々の鏡である」

人間は迷いがあって当たり前の存在です。
迷いが常に全くないことは、かえって危険なことと言えます。
迷いがない状態とは、目の前しか見ていない、ということに他ならないからです。
目の前しか見ていないから、自分を冷静に振り返ることもできません。

しかし、暴虐な将(支配者)は兵(手駒の人間)を作るためには迷いを捨てさせます。
将にとっては、兵をただ黙って将に従わせる必要があるからです。
将が右を向けと言えば右を向き、左を向けといえば左を向く、そして
人の命を奪うことや、命を投げ出すことさえ臆さない存在として兵を作りあげるのです。
そうやって戦争をしたり、経済で戦ってきた世界が今の悲しい世界です。

自分の目的のために人間性を欠落させることもいとわない、
そんな将の行為こそ最も罪な行為です。
しかし、そんな暴虐な人間をのさばらせてしまう、社会の側にも原因があります。
社会とは一人一人が集まってできるもの、というのはお分かり頂けるでしょう。
だから社会に原因がある、ということは我々一人一人に原因があるのです。

我々個々人の、必要ないものまで得ようとする行き過ぎた欲や、
人を押しのけてでも獲得しようとする競争心や、闘争心、
何かおかしい、と思っても受け入れてしまう惰性的思考もその原因です。
暴虐な人間は、人々の悪い部分を利用するからこそのさばることができます。
だから暴虐な人間は、人々の悪い部分を写した鏡なのです。

水面の中の月を無くそうと思って、
いくら水面を手でかきまわしても水の中の月は消えません。
原因となるものは、それではないからです。
それと同じように、暴虐な人間を無くし世界の悲惨さを無くすためには、
私達がその原因であることを自覚し、正さなければならないのです。

   

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--関連記事--
「権力者と大衆」---権力者と大衆の関係性。
「競争主義について」---生存をかけた競争主義の否定。

2013-06-20

過去を切り捨てる

「過去を切り捨てる」

人間は過去の出来事に自分が囚われて、
あーでもない、こーでもないと考えてしまうこともあるでしょう。
そういった思考はエネルギーの浪費に繋がるものです。

そういった思考に対する私の対策としては、
「今の自分に過去と同じ出来事が起こったなら間違えることはない」と考え、
今と切り離して考え、過去はなるべく切り捨てることにしています。

また、今から見れば良くなかった選択も、
「その時に自分が選んだことはその時最善を尽くして選択した」
と、考えるようにしています。
こうすることで、過去に対して私はある種のあきらめがつくからです。

過去を振り返って価値があることは、感情やその時の気持ちではなく、
客観的な事実を振り返ることだと私は考えています。

これだけの積み重ねがあったから今は大丈夫、
という事実を再認識する時や、
あのような間違いは二度としないよう反省し、十分な対策をした。
という事実への振り返りが、価値のあることだと考えています。

そういった事実を振り返えることは、必要だと考えますが、
ネガティブな過去を、いつまでも引きずるのはエネルギーの浪費ですので、
いかに過去を切り捨てるか、という考え方は非常に重要な視点だと思います。
重要なのは今、そしてこれからの選択である。

といった言葉は、精神世界ではお馴染みのような言葉ですね。

合わせてこちらもどうぞ :「嫌な記憶を消す方法」

    

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--関連記事--
「手を空にしてこそ」---過去の成果にも囚われない。

2013-06-18

困難と行動

「困難と行動」

困難を克服するためには、行動で解決するしかありません。
困難な道に突き当たった時、結果は二通りあると言われます。
一つは行動することによって、困難を解決している結果です。
もう一つは何もせず、今と変わらない現状にいる結果です。

この世界の慈悲は、誰かが突然救いの手を差し出す、
そういう類のものではないのです。
救いの手をもらうためにも、こちらから出向いて行かねばなりません。

困難な出来事に出会うことは、人生なら必ず起こることです。
困難に出会ったならば、まず自分ができることを1から組み立てて行きましょう。
何をすればいいかさえ分からなければ、人に聞くことも大切です。
困難は行動することによってしか解決できないものです。

ですから、行動によって(自分から見える)世界を変えていきましょう。
行動によって必ず活路は開かれます。

 

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--関連記事--
「やりたいことは今始める」---いつかではなく、今から。

2013-06-16

人生は戦いのようだ

「人生は戦いのようだ」

人生とは芸術、闘争、愛、苦しみ、様々な見方が昔からあると思います。
その中で、私は地球での人生とは戦い、という見方をしています。
戦いとは闘争といった人と争う、という意味だけではありません。
もっと全局面的に生きること、それ自体が戦いと考えています。

人生は過程や手順といったプロセスである、と言われることもありますが、
結局のところ我々は自分以外の存在と対峙、対決しなければなりません。
それは他人だったり、考え方だったり、物だったり、
もしかしたら自分自身の内面だったりもします。

そして、それを踏まえて自分のあり方を決めなければいけないからです。
それには選択と決断が必要であり、それが戦いの思考だと考えます。

社会的な競争や勝負といった、闘争はしないことも可能でしょう。
しかし、我々は社会で生きる中で図らずもその中に放り込まれます。
ですから、闘争を拒否するということも選択肢の一つとなり、
それは、闘争を避けるという戦いの選択をしたことになります。

例えば、人と争わないために競争を拒否したり、自分を妥協したり、
闘争を避けるという利益を追求するにも、戦いの思考が必要なのです。

そして、戦いの思考を持たないことは、かえって無益な闘争生みます。
なぜなら、自分の利益を考えずに戦う(生きる)ということは誰の得にもなりませんし、
人の利益も考えることができないからです。
戦う思考というものは、地球で生きる以上どうしても避けて通れません。
ですから、より良い戦い方という思考を身につけるべきなのです。

この記事の中では選択、生き方、戦いとは意味が近い言葉となりますが、
地球の現実の厳しさから言うと現在は「戦い」が最も相応しいと私は考えています。

   

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--関連記事--
「競争主義について」---できることなら生存をかけた競争は無い方がいい。
「争わないから生き残る」---屈することで獲得できるもの。

2013-06-14

笑われる

「笑われる」

本当に完成したものは、一見稚拙なように見えることもあります。
本当にやる価値があることは、人から無理だと言われます。
本当に価値のある思考は、馬鹿にされてしまいます。

ですから、人から笑われるぐらいでないと、突き抜けたものとは言えません。
多くの人間が簡単に同意できてしまうようでは、
底が浅い発想、と言われてもしょうがないのです。
多くの人の支持を得ている意見が、必ずしも良いとは限らないのです。
むしろ疎まれているものの中にこそ、珠玉の宝が隠されているかもしれません。

なぜそうなるのかと言うと、人は自分と違うものを否定しがちだからです。
多くの人は自分と同じか、近いレベルの発想しか同意しない傾向があります。
自分よりレベルの低い発想や、逆にレベルの高い発想には拒否反応を示すのです。

自分より低い発想は、その悪さが良く見えるから拒否するし、
逆に自分より高い発想は、その良さが理解できないから拒否することになります。
つまり、自分にとって異質なものは、拒否せずにいられないのが人間なのです。

ですから、なぜそれが人に拒否されるのか、それを良く観察しなくてはなりません。
実はそれが人から拒否されるのは、
多くの人より先に進んでいるという可能性もあるからです。

馬鹿と天才は紙一重というのもうまく言ったので、
普通の人間からすれば、
愚人の意見も天才の意見も同じように拒否したくなるものなのです。

    

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--関連記事--
「+1」---飛び抜けて優秀というのも考えものである。

2013-06-10

指導のコツ

「指導のコツ」

私自身、趣味を通し自分の能力や知識を用いて、
他者を指導するということを、何度か繰り返しています。
物事を覚えるということも、コツがあると思いますが、
教えるということにも、大切なコツがあると節に感じるている次第です。

物事を教える時に、常に分かりやすい説明や、
素人でも理解できる言葉で表現する、
ということを私は以前、特に重視していました。
しかし、私自身何度もそういったことを続けていくうちに、
指導が続きやすい時の特徴のようなものを発見しました。

それは何かと言うと、
「求められた時や、知識が必要になった場面に遭遇した時に、初めて説明する」
というものです。

指導する側というのは、すでに物事を理解しているわけですから、
ついあれもこれも、と教えたくなってしまうものです。
ですから、それを抑制する意味で自分に制限をかけることで、
生徒にとっては丁度よい加減となるのです。

ですから、何かを説明する時に、私は必要最小限にしか説明しません。
それで物事を始めた後に、なぜ?とか、どうやるの?わからない!
と、ヘルプが出たりヘルプが必要となった時、指導をするようにしました。
すると生徒側のモチベーションが保たれるのです。

そして、求めていない指導はしない、というのも重要です。
こちらからはあまり能動的に指導をしない、というのが特に効果的でした。
生徒側が今覚えたい!という気分になって向こうから頼んで来る時、
そういう時に教えるのが、一番やる気や理解力が出るからです。
来るもの拒まず、去るもの追わずといったところでしょうか。

こう考えると、指導のコツはタイミングにあると私は感じています。
指導するには今が一番!という瞬間がやはり存在するのです。

  

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--関連記事--
「真の存在」---真の指導者とは。
「人に分け与えるには」---分け与えるなら持っていなければならない。

2013-06-08

価値観を崩す

「価値観を崩す」

人の価値観を崩し、思考を変えることができなければ変化はやって来ません。

人の価値観に則り美辞麗句を述べることは、それほど難しいことではありません。
その言葉を聞くたび人は感動の涙を流し喝采するでしょう。
しかし、それは人に何の変化ももたらしません。
それでは何も変わらないのです。

その次に賢い者は、人の価値観を崩すことが出来ます。
そして、自分に有利な価値観を他人に強要して、
人を自分の意のままに操ろうとするのです。
狂信的な宗教等がいい例でしょう。

自分の価値観を強要してくる人間に従うのは、なんと楽なことでしょうか。
しかし、それは人に何の変化ももたらしません。
それどころかそれは人の生活を脅かします。

最後に残った者は人から疎まれるか批判されます。
彼らはこうして自分の真実を貫くために困難に立ち向かいます。
真実に従うことは、なんと苦しいことでしょうか。
しかし、それは人に衝撃を与えることができます。

人の価値観を崩して、時に厳しい真実を突きつけるから反発も受けるでしょう。
ですが、それでしか変化をもたらすことができないので、仕方がないのです。

      

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--関連記事--
「シンプルな言葉」---人に影響を与えるならシンプルな方がいい。
「トータルで見る」---本当に強い言葉は潔癖なものではない。

2013-06-06

人間管理の調和法

「人間管理の調和法」

あなたは働かない蟻の話をご存知でしょうか?
働かない蟻は常に群れの中に一定数存在しています。
そして働く蟻だけを他の群れから集めてきて一つの群れにすると、
またその中から働かない蟻が一定数出てきます。
逆に働かない蟻ばかりを集めてくるとその中から働く蟻が現れます。

これは貴重な研究です。
つまり自然界の中では一定数の怠け者が必ず存在するのです。
しかしこの怠け者の蟻達も働き手がいなくなり群れの存続の危機に立たされると働きます。
実はその怠け者の行動がかえって種を長引かせます。
皆が皆働いて疲れている所に種の存続に関わる問題が起きたら大変です。
彼らはそういった種全体に対する問題にある種の余力を残していて、
そういう蟻がいることによって種全体の活動エネルギーが保たれるのです。

重要なのは働かない=「悪」ではなく、実は群れの持続に必要という事なのです。
またこれは生物が群れ、集団として存在する以上避けて通れない本能、性質なのです。
これは人間の世界を見てもある程度同じことが言えるのではないでしょうか。

これらの現象を読み解くとそれぞれの個体には「反応閾値」が設定されています。
これは何かというと単純な例で言えばすぐ汚れが気になって掃除をする人と、
けっこう汚れててもあまり掃除をしない人がいます。
これは汚れに対する反応閾値が違うからです。

これを一歩進めて考えると忙しく働いてる人間が多い程、
怠ける人間も増えるということが言えると思います。
なぜならやらなくてはならない仕事があまりないのであれば、
仕事に対する反応閾値が低い人間は自分が仕事をする必要性をさらに感じなくなるからです。

つまり忙しく働いている人間をさらに増やしたりさらに働かせると、
忙しく働く人間以外の仕事が減り、
仕事に対する反応閾値が低い人がさらに働かなくなるようになります。
すると結果的に忙しく働く人間は疲弊してしまい、怠ける人間はさらに増えてしまいます。
これはリスクの高い行為です。なぜリスクが高いかというと、
一例としてよく働く人だけに技術やノウハウその他組織にとって必要な物が蓄積されていけば、
もしその人が体を壊して辞めてしまったり、
他の企業に転職してしまうとそれらの蓄積が全てなくなってしまうからです。
誰にでもできる仕事ならば人を使い捨てにもできるかもしれませんが、
そういったことを続けていては、
この情報を共有できる時代いずれ組織自体の信用が損なわれるでしょうし、
組織の信用に敏感である優秀な人材も集まりずらくなるでしょう。

ではどうするか?
ここでようやくスピリチュアル的発想に入ります。
忙しく働く人間をある程度抑えて、少し怠けやすい人間に働いてもらうよう促すのです。
この時に欲を出して働く人間をより働かせて怠けやすい人間を働くように促すのは失敗です。
それはある程度必要性の高いと感じる仕事が残っていなければ、
反応閾値の関係から怠け者は働かなくなるからです。
仮に全員を100%活用出来たとしても、
組織自体が能力のギリギリで活動する訳ですからリスクが高いでしょう。
例えば常に100%の全力で走り続ければ疲れて倒れるの早いと言えるからです。

従ってよく働く人間をある程度抑えて、怠けやすい人間には仕事を働きかける。
こうすることによって働く人間は疲弊することなく怠けやすい人間も力を発揮できます。
また組織に必要なものが少数の人間に偏らないためリスク管理としても良いと言えます。
これが中庸、バランスの道です。
そして中庸、バランスの道に従っていれば組織全体の崩壊のリスクが下がり、
長続きがしやすいと言えるのです。

(参考:働かないアリに意義がある (メディアファクトリー新書))

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2013-06-06

長文考察

ここでは比較的長い考察を集合定思考とは別にアップロードしていきます。


「人間管理の調和法」


2013-06-04

効率の問題

「効率の問題」

何かを獲得したいと思った時、その獲得する行為が効率的かどうか、
それはとても重要な視点です。

例えば、お金を獲得しようと思っても、
効率の高い方法で得たお金は、とても合理的と言えます。
しかし、効率が悪い方法で得てしまうと逆に損失が出るのです。
効率が悪いと、得るものが多ければ多いほど返ってよくないのです。

100万円を手に入れたとしても、
120万分の労働で手に入れたのでは得をしてません。
ですから、損得の勘定で考えた時にはどれだけ多くを獲得できたか?
という見方よりも、どれだけ効率良く獲得できたかという方が重要です。

例え少ないお金でも、効率良く獲得していれば得で、
逆に効率の悪い方法で多くを得たとしても、
それを得たことで失う損失の方が大きいのです。

そして、お金を獲得することに限らずに、
効率が悪いことにずっと甘んじていると、諸所の面で良くないことがあります。
効率が良いことは、とても気持ちが良くて美しいものですから、
心身にとっても、そういうことが日常的にあると気分も晴れてきます。

なぜなら、効率が良いことは脳にとってある種の快感があるからです。
逆に効率の悪いことばかり日常的にあると、
生活に支障が出るばかりか、気分も冴えずに鈍重になってきやすいものです。

もし、健康的な精神状態を保ちたいと思うなら、
運動で体を動かすように頭を使って効率的な生き方を考えると良いでしょう。
頭使って工夫することによって人の精神は活性化するのです

   

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2013-06-02

トータルで見る

「トータルで見る」

人間は美辞麗句だけを述べるだけのようでは底が浅くなります。
ですから、愛や美しい思考などを語ることも重要ではあるのですが、
それだけに偏ってしまっては妙味がないのです。

美しい言葉だけの方が、一見完成しているように思えるかもしれません。
ところがそれが逆なのです、
美しい言葉で完結しているから不完全なのです。
そして逆に清濁を併せ持つから、不完全に見えて完成しているものなのです。

人間の良い面も悪い面も語り、
それをうまくコントロールし利用すること考えていくことが重要なのです。
人間の片面だけを見るのではなく、トータルで見るから深みがあるのです。

ですから、綺麗な高尚に見える言葉だけで完結しているもの、
それは実際には強い力がありません。
かと言ってもっぱら毒づいたものが良いというわけではありません。
清濁のバランスが取れていて、その両面をうまく活用できていること、
それが本当の力をもった言葉なのです。

皆さんの中には、美辞麗句だけの謳い文句に引っかかっている方はいないでしょうか?
そういった言葉は、毒づいただけの言葉と同じであまり価値がありません。
ですから、そういった言葉も選んで読むよりも、
物事のいい面も悪い面も、冷静にトータルに語った言葉を選ぶ方が自分のためになるでしょう。

    

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--関連記事--
「ありのまま」---ありのままが冷静な視点である。
「時には悪人のように実行する」---悪人のような行動がいい場合もある。

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