2013-09-28

見返りを求めない成功

「見返りを求めない成功」

自分が良い行いをしても、すぐに見返りを期待しないことは大切です。
すぐ見返りを求めないから、偉大な成功に近づくことができます。

善行をするというのはどういうことなのか、それを簡単に例えると、
畑に種を蒔くことと同じことではないでしょうか。
畑に種を蒔いていけばいずれ豊かな実りがやってきます。
畑に種を蒔くことは種を撒いただけ損したと、考える人は少ないでしょう。
人間の善行も種を蒔くことと同じで、
いつか必ず育って実る時が来ると理解していれば惜しまなくなります。

   

つまり期待しないでいるためには、
自分の善行が損になった、と考えてしまうと良くないでしょう。
自分から損をしたいと思う人は少ないはずです。
そう考えると、すぐにでも見返りがないと・・・と考えてしまいがちです。

それを止めるためには、善い行いをすると同時に、
自分は見えない利益を得ている、という自覚が必要です。
利益を得ていない、と感じてしまうから損ばかりしたと思ってしまうのです。

私は合理主義、利益主義ですが、
人の善行の考え方は、慈善ではなく利益主義の延長線にある思っています。
農家の方は、自然に対して慈善で畑に種を蒔くわけではないでしょう。
ものすごく短期的に見れば農家の人は種を蒔いただけ損だ、
と、考えることもできます。
それと同じことが人の善行に言えるのです。

あまりにも短期的な見方では、こういうことは理解できません。
長期的な視野で物事を見る必要があります。
畑に種を蒔いてもすぐには実りは訪れません。
それと同じで、善行が良い形で帰ってくるのも時節があるのです。

逆に言えば、自分の悪徳の芽もいつかは自分で刈り取らねばなりません。
それは撒いてしまえば避けようがないですから、
いつかは決済しなければいけない時が来るのです。

    

ですから、私達は与えることが必要なのです。
この地球は、その結果が見えづらいから苦労しますけどね、
私もこうしてブログを書くのも、私なりに得るところがあるからです(笑)

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2013-09-21

知らないふりの処世術

「知らないふりの処世術」

人間というのは、そう愚かしくもないですが賢くもありません。
自分にとって本当にためになる手厳しい指摘というのは、
反発したくなるのが多くの人間の性だからです。
私もそういうことがよくあります。

厳しい意見を素直に受け入れることができる、
そういう人間は中々いません。
なぜなら、自分を曲げたり苦痛を伴ってでも成長したいと考えるより、
今が良ければ苦痛を伴ったり屈曲などしたくない、
というのが大体の人間の本心だからです。

それが良いか悪いかは別として、
事実として、そういう人間は少なくないはずです。
ですから、今の世の中では当たり障りの無い方が好まれます。
自分がへこみながら生きている方が目をつけられません。

   

逆に強気で押し通すことや、ズバズバ人を指摘する、
そういう態度をとると多くの場合、周りからは良いようには見られません。
世の多数を占める一般的な人間が相手なら、そういう結果になるでしょう。
下手に反感を買わないためには余計なことを言わないことです。

一言多い人間よりも、一言少ない人間、
その方が楽をできることは間違いありません。

しかし、人間というのは見えたり分かっていると口を出したくなります。
これも、その人間の立ち位置や相手によって変わってくることですが、
重要なのはどういう立ち位置や相手でも、
自分が指摘する立場になったなら、一言一言よく精査しなくてはなりません。

まるで、薄氷の上を歩くように慎重でなければならないのです。
そして、自分の指摘がたとえ相手のためになると思っても、
場の雰囲気や関係を悪くしたくない、多くの人間の鼻につきたくない、
そういったことを考えると、知って知らないふりをすることも時に必要です。

   

なぜなら、そうすることで余計なトラブルを起こさずに済むからです。
問題というのは些細なことから発展するもので、
もし、自分が相手をへこまそうと考えるなら、よくよく慎重でなければなりません。
ですから、知って知らないふりをすることは時に善となるのです。

ですが、危機的状況や危険がある場合は、その限りではありません。
こういう時に知って知らないふりをするのは、ただ調和を乱す人間です。
まず、自分の慢心や善意の押し付けとならないため、
そして、人間関係の調和のために、こういった考え方も必要なのです。

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2013-09-14

戦うという本能

「戦うという本能」

この地球で生きるテーマの一つが戦いです。
ここで生きるなら否が応でも戦いに引きずり込まれます。
せめて人間ぐらいは、その枠組から外れたいものですが、
そういった変化が起きるのは、まだ先のことのようです。

動物は見たまんまで、野生では戦わずして生きていけません。
植物も少しでも自分の仲間を増やそうと、スペースを奪い合います。
これが良いのか悪いのかと判断はできません。
戦うことで生物は練磨されていくという面もあります。
戦うことは美しく、人間の潜在意識にとって快感という見方もあります。

      

良いか悪いかのではなく、地球で生物として形をもってしまうと、
この戦うということは一種の本能になってしまうのです。
本能はある程度解放しなければ欲求が溜まってしまいます。
それは、どの本能に根ざす欲求でも同じです。
戦いも本能に根ざす欲求ですから、ある程度解放する必要があります。
ですが、戦いの欲求は取り扱いに気をつけないと、他者を害する恐れがあります。

私はその点ゲームというのはよく出来ていると思います。
TV、パソコンのゲームがなぜこれほど発達したのか、それは・・・
単に面白いからというだけでなく、
人を傷つけずに、戦うという人間の欲求を見事に満たしたからではないか、
と考えています。
TVゲームの多くは勝つか負けるか、成功か失敗かを競うものです。
そういった競争をすることで人間の欲求を解放していると思うのです。

    

つまり、ゲームをすることで戦いの欲求が満たされ、
かえって戦うことへの欲求が少なくなり、
現実世界ではそれを無理に満たす必要がなくなっているのではないか、
と考えています。
つまり戦うという欲求のガス抜きみたいなものです。
案外ゲームは平和維持のために役立っているかもしれません。

私が趣味として行っている囲碁は、争いの思考のゲームです。
それも動物的な争い方ではなく、どちらかというと植物の争いと似ています。
囲碁は陣地の大きさを競い、スペースの取り合いを行うゲームだからです。
可愛らしい花を咲かせる草木もスペースを争って生きている、
そう考えると植物も碁打ちなんだなー、と思ってしまいます。

植物の苦労を知りたかったら碁を打ってみるといいかもしれません。
楽そうにみえても彼らは彼らなりの楽しみと苦労があると分かる・・・
かもしれません(笑)

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2013-09-08

地球という手厳しい環境

「地球という手厳しい環境」

地球という星の厄介な点は数多くあります。
いくつか大きな点を挙げるとすると、

①かなり物質的な側面が強く出ていて制約が大きいといった点、
②争いを中心とした意識が強く出ている点、
③そして精神的な要素は明快に見ることができないといった点。

    

この今挙げた3つの内、どれか一つでも解消されれば、
地球という環境は劇的に改善されるでしょう。
例えば3番目の精神的なものが見ることできること。
相手の感情をテレパシーのようにオープンに感じたり、
性質、相性が明快に分かってしまえばミスマッチなど起こりません。

この見えないという性質の利点としては、
①心を隠すことができるということ
②我々がバラバラな個体としての存在を意識できること
この二つが最低でもあるわけです。

しかし、そのおかげで少なくとも以下の欠点がります。
①対人的な理解が進みづらく問題が起きやすいこと
②我々は他者と繋がっているということを明確に分からないこと
という大変なデメリットを負っているのです。

    

この性質のおかげで、
お互いがお互いをよく理解できない、ということがよく起こります。
そしてそれだけでなく、
最初に挙げた物質的制約や争いの意識を持つことで、
まさに地球は地獄絵図といった世界そのものです。

はっきり言えば、これだけ苦しい要素が揃った環境というのは、
宇宙的に見ても珍しいのではないかと予測します。
まぁポジティブに捉えれば、ここほど勉強になる星はそうそう無いでしょう。
生きているうちに楽をしようとすること自体が難しい、
そういった哀愁を感じるには持ってこいの場所ですね(T-T;)

ですから、これからの時代においては、
そういった課題を一つ一つ紐解いていかねばなりません。

ここで一つ一つ対策を挙げると一杯になってしまうのでざっとですが、
物質とエネルギーと意識の関係をもっと高度に理解し、
物質依存的な見方や生き方を変えていくこと。
争いには利点と同時に大きな欠点があるということを理解すること。
そして人間の精神エネルギーについてもっと理解を進めること。
こういったことが、これからの時代に要求されてくると私は考えています。

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2013-09-01

うつ状態について

「うつ状態について」

今回はうつについて書いてみようと思う。
おそらくうつは現代人にとって最も身近な病気の一つではないだろうか。
私は持病などもあって精神的にタフではないので、
何か嫌なことがあると軽度のうつ状態になることがよくある。
私は専門家ではないので自分の体験と合わせて考えていきたい。
といっても私のうつは本当のうつ病ではなく、
あくまでもうつ状態になりやすい、つまり落ち込みやすい気質であって、
本当のうつ病ほど重い病気の話ではないのでそこはご了承頂きたい。
体調が明らかに変だと思う方は医師の診断を受けるべきで、
うつ病と診断を受けている方はちゃんと医師の指示に従って頂きたい。

うつ状態の原因としてまず考えられるのがストレスである。
うつは特に変化に対するストレスの影響が大きいようである。
例えば男性であれば昇進や降格といった仕事場での変化や、
女性であれば結婚や出産といった生活面での変化などが多いようだ。
変化が大きい程その精神的、肉体的疲労も知らず知らずにかかってくる。
変化している間はうつの症状が出なくても、少し落ち着いてくると、
一気に疲れがでてうつ状態になる場合もある。5月病もそうだ。

変化に適応しようとする時、人間は精神的エネルギーを多く消費する。
うつ状態とはこの精神的エネルギーが枯渇した状態ではないかと私は思う。
科学的に見ると脳内物質のバランスが崩れているなどとも言える。
またうつは真面目で責任感が強い人ほどなりやすいと言われる。
勤勉な性格が病気を進行させやすいのだ。
それもそのはずで自分から精神的エネルギーを積極的に使っていくタイプ、
と、考えると合点がいきやすい。

   

だから、うつ状態の一つの対策としては、
うつ状態になる原因や気質と逆のことをすれば良い。つまり・・・

①できるだけ変化をさける
②怠け心を身につける

①について
まずうつは変化によるストレスが大きいわけだから、
それを減らすことが大切である。
ようはできるだけ「何もしないこと」がうつ状態を治す方法の一つだ。
休養してのんびりすることが大切である。
またうつ状態になった時や、
変化が多くうつ状態になりやすい時は新しいことは始めない方がいい。
なるべくいつも通りといった生活を続けることや、
ストレス解消やリラックスの方法も昔から行っている方法が良い。
なるたけ変化が無い方が精神エネルギーは減らないのである。
なぜなら適応するということが一番エネルギーを使うからだ。

②について
真面目な人は知らず知らずにエネルギーを使ってしまう。
社会的に真面目な性格は評価されるが、
それがかえってうつ状態の原因になることもある。
特に日本は勤勉が美徳とされるぐらい真面目が好きだ。
そして社会的な建前としては怠け心は推奨されない、
だが人間建前で体を壊すなら、まず本音で怠ける心得を身につけた方が良い。

ただ怠けるといってもあからさまにやるのはNGだ。
建前は仕事してなるべくバレないように怠けるのが一流の怠け者だ。
真面目でうつ状態になる人はこの怠け心が無いどころか、
どんなことでも少しも手を抜かない、これが体や精神に良くないのだ。
怠けることに強い罪悪感を感じる人は、
少なくともなんでもバリバリこなさず、ほどほどを心得ることが重要である。

ただ断っておきたいのは元々怠け者と呼ばれるような方は、
さらに怠けようとするのは止めて頂きたい。
あくまでもバランス、中庸である。
真面目すぎれば怠ける必要があるし、怠けすぎれば真面目になる必要がある。

      

2つ程対策を挙げてみたが、
調べてみると実際うつという病気は人によって症状が異なり、
治療法も皆同じで済むというわけにはいかないようだ。
今回私が書いた対策も一つの方法であり、
見ている方の何らかの足しになればいいと思う。

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