2015-04-25

小周天-陽気発生

「小周天-陽気発生」

瞑想の仕方や基本事項はこちらを見て下さい。
ここでは小周天に特化した内容のみ解説していきます。

小周天では基本的に「陽気」と呼ばれる気を体内で循環させる。
以降に書く「陽気」という単語は、天気の陽気を指すのではなく、
全て気の一種である「陽気」を指すので注意して頂きたい。

まず、小周天をするには陽気を体内で生成しないとならない。
これは、丹田という下腹部付近の場所、もしくはヘソで作ることが出来る。
丹田は、ヘソからやや下の下腹部付近を意識をする(大体の位置で良い)
某仙道書の陽気の発生場所は、ほぼ丹田のみの書き方だが、
タオイストの本などを読むと、「ヘソ」もけっこう陽気発生に向いている。
これについては、実際にやってみてやりやすい方を選択するべきだろう。
ちなみに、私は日によってやや違うが、ヘソの方が陽気がよく発生しやすい。

さて、某仙道書で小周天を知っている方には、一番疑われることを書こう。
陽気を丹田、もしくはヘソで発生させるには、
何もしないでリラックスして、その場所に意識をかけ続けることである。

某仙道書を知っている方は、えっ!?と思うかもしれない。
そうなのである、これは実は某仙道書とは全く方法が違う。
某仙道書では武息という呼吸を使ったり、体の各所に力を入れたりする。
だが、それはかえって陽気を発生させるのを遅らせることになるのだ。
実は某仙道書の元になった築基参証という文献がある。
私のやり方はこれに近い。
基本的に何もしないで意識をかける方が、実は陽気が発生するのだ。
この辺は某仙道書と築基参証に、なぜ食い違いがあるのかは謎。
さて、ここらで某仙道書との対比は止めて陽気の説明に戻ろう。

陽気を発生させるには、以上の様に色々考える必要はない。
ただ、リラックスして意識をかけ続けるだけで良い。
意識の掛け方だが、チャクラ・チューニングと同じように、
短時間に力を込めるような集中ではダメである。
長時間をかけて、弱く意識をかけ続けることが一番大切である。

このように意識をかけ続けていると、その内その場所が段々暖かくなってくる。
この暖かい感覚が現れたら、陽気の発生である。
ただ最初の内は何十分やっても何回やってもできないかもしれない。
その度に焦らず、上記の方法を守って一定期間は続ける必要がある。
毎日座れば1~2ヶ月もすれば、多分できるようになるだろう。
まぁ、人によっては一回で出来る人もいる。
感度が敏感だったり、精力が強い人はこの傾向にある。
神秘行に焦りは禁物だから、一回で出来なくても焦らずやって欲しい。

陽気を発生させたら、その感覚に意識をかけて強めていく。
上手くいくと40度近くのお湯が入っているような感覚が出てくる。
とりあえず、そこまで行けば第一段階はパスである。
意念小周天だけで満足するなら、
ほのかな温感程度でも小周天をできないことはない。

陽気を発生させやすくするには、前回書いた気の浪費を防ぐ他、
下半身の筋トレや、括約筋のトレーニング、下腹のトレーニングがある。
この辺は某仙道書の方法が使える。

下半身のトレーニングはスクワット等をやると良い。
スクワットのやり方は、肩幅より大きく足を開き、足を外側に向け、
そのまましゃがむ様にして、腰を落とすやり方が私のオススメ。
一般的なやり方とは少し違い、バーベルを使う際のものと似ている。
あまり深くは腰を落とさず、膝が水平になるより前に戻す。
これをある程度(10回~30回)を2~3セットくらい繰り返すと良い。

括約筋のトレーニングと、下腹のトレーニングは場所選ばずどこでも出来る。
括約筋はそのまま肛門を閉めれば良い。
出来ているかどうかは、小便をする際、それが止まれば出来ている。
これを肛門を閉じる、緩めるを1回として、100回程度やると良い。
下腹トレーニングは下腹部を膨らましたり、へこましたりする。
慣れれば簡単だから、これも100回程度やると良い。
因みにやり過ぎると気が頭に昇ってノボセたりする場合があるので注意。
まぁ、回数等は各人で様子を見て調整して欲しい。

これらのトレーニングを瞑想前にやると、なお陽気発生に効果的だ。
陽気は幻覚ではなく、人間の生理機能が作る一種のエネルギーなので、
体の状態をある程度活動的にした方が発生しやすいのである。
ただ、注意は瞑想中は某仙道書のように、これらを瞑想に組みこないこと。
瞑想に入ったらあくまで静かに意識の集中を行う。
意外に方法自体は単純で、こんなものでいいのか?と思うかもしれないが、
実際ちゃんとできるようになるには、時間と労力とコツが必要なのである。

また、小周天を行う際、瞑想前のトレーニングについて制限がある。

瞑想前に良い物:
 ヨガ、気功、チベット体操、太極拳、柔軟体操、軽い筋トレ、散歩など。

瞑想前に悪い物:
 激しい運動、スポーツ、負荷のある有酸素運動、負荷の高い筋トレ。

基本的に体をゆっくり動かしたり、気を損なわない物は良い。
瞑想前に良い物は、むしろ何かしら行ったほうが良い。
逆に瞑想前に悪い物は、瞑想後に行う、もしくは、
時間帯を完全にずらす必要がある。(朝ランニングして、夜瞑想など)
ただ瞑想に良いものもやり過ぎは注意である。
瞑想の準備で疲れてしまったら、それで気を損ねることになる。
気を損なうと、小周天の成果に大幅に影響があるので注意が必要である。

以上で陽気発生の考察とする。次回は陽気を回す段階に入る。

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2015-04-24

私について

「私について」

私は物事の本質を見抜く力は、自分自身でも高いと思っている。
だが、それと比例して苦手な側面を持っている。
それは、体裁を整えることが非常に苦手という点だ。

私は幼い頃、歯に衣着せない喋り方をするとよく言われた。
全く遠慮がないというか、臆さないというか、
子供なら、皆そういった性質があると思うかもれないが、
私の場合は特に、この傾向が強かった。
また、私の厳しい発言は当たっている事が多かったようで、
その時から、既に物事の本質を見抜く素養はあったように思う。

その私の性格というか性質は、今も奥底では変わらない。
流石に、人を傷つけるような指摘を平気でするようなことはしなくなったが、
それは、幼い頃から人の反発を買って、
自分を隠すことを学習したからに過ぎない。

物事の本質を見抜くという性質は、私にとって欠かせいない要素であり、
これがあるからこそ、私は私でいる意味がある。
本質が見えるということは、人生の無駄が減るということに繋がるし、
生きる上で、何が本当に大切かということが見えてきやすい。

しかし、本質が見えてしまうが故に、
言葉をうまく繕ったり、自分を装うことは普通の人以上に遥かに下手だし、
世の中をうまく渡っていく図太さなどとは無縁の人間だろう。
それは、社会人として生きるには、かなり大きなハンデと言える。

結局、世の中いい事ばかりにはならないのだ。

そういうこと考えると、地球で生きるということは、
その人がどう生きようと、その実質は非常に厳しいものと言える。
この先、死ぬまで生きねばならないと思うと、気が重くなるのは仕方がない。

そう思うと、私は一刻も早く、私の魂の仕事を完遂しなくてはならない。
逆に言えば、それだけが私の生きることへの救いでもある。
それが達成できないまでは、私はいつまでもここに居続けることになるだろう。
だから、辛くても逃げるわけにはいかない。
逃げても状況が変わる訳ではないからだ。

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「もし私が」--私が今と違ったら。

2015-04-18

人の価値

「人の価値」

人の価値は同一であって同一ではない。
人はそれぞれ違う存在であって、同一の存在という不思議な側面がある。
それは見方によっては、同一であり、また同一ではないからだ。

人の価値が皆同じである、という見方は正しい。
我々は同じ要素から出来ており、一人一人が素晴らしい個性を持つからだ。
だから、どんな偉大な人物も、どんなに愚かに見える人物も、等しく素晴らしい、
ということが、度々偉大な師によって伝えられた。

人の価値が同一ではない、という見方は正しい。
我々は、それぞれが、それぞれに負けない素晴らしい個性を持っている。
だが、その素晴らしい要素を活かしているかというと、
それは個人個人によって全く違いがある。
ある人間は自分の個性を活かし、人生を楽しみ、世界に貢献しているだろう。
だが逆にある人間は、自分を殺し、社会に悪意を向けているかもしない。

我々の価値は宝石の原石に例えられる。
人はそれぞれ、個性という宝石の原石を持っている。
しかし、それをよく磨いているか、はたまた全く曇ったままにしているか。
その差で人の価値が大きく変動するという見方がある。

   

だから、我々は皆等しく宝石を持っているという見方もできるし、
その輝きには大きく違いがあるという見方もできる。
その両方の見方ができるから、人の価値は同一であって同一ではない。
ということが言えるのである。

だから、私は本来どんな人間もバカにするべきではないと考える。
例えば仮に、あなたが今バカにしている人間がいるとしよう。
だが、その人間はもしかしたら、とても美しい宝石の原石を持っているが、
実は、それが今はただ曇っているだけなのかもしれない。

曇っているだけなのであれば、今はバカにできても明日は分からない。
だから、私は趣味の囲碁においても、相手が弱くても決してバカにしない。
むしろ相手の良いところを勉強させてもらう、という気持ちでいつも臨んいる。
相手は今は弱いというだけで、その人間の碁の価値とは無関係だからだ。

そして、人の原石は機会があれば、なるべく磨いてあげる方が良い。
その人を磨いてあげることで、あなたの原石もより一層輝きが増すからだ。
人は本来磨けば美しいものであり、自分を磨くことを怠るべきではないのである。

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「存在するなら価値がある」---創造はミスを犯さない。

2015-04-18

気の浪費について

「気の浪費について」

小周天、とくに経絡周天を目指す上では気の浪費を避けねばならない。
「気」というのは物質的エネルギーの側面があるから、
使うと、その働きをする分だけ消費されてしまう。
小周天は気を感覚で掴み、それを移動したり強化するトレーニングである。
だから、気がすり減った状態ではできない、または効果が大きく下がる。
今回はその気の浪費について考察を書いてみる。

某仙道書シリーズでは気の浪費について以下ような内容が記されている。

①夜ふかし
②目の使いすぎ
③天候が悪い時、または不眠の時に無理をする
④暴飲暴食
⑤物事に対して過度に緊張して取り組む
⑥喜怒哀楽が大きい
⑦精液を漏らす
⑧男性は50才、女性は35才からは気が漏れやすくなる
⑨熟睡できない、食欲がない、物事を気にする、下痢や便秘

人によって差異はあるが、基本的に番号が小さい程、気の漏れが大きくなる。
特に①や②は現代人には辛いかもしれない。
これらは瞑想する上で成果の妨げになるので、対策をしないといけない。
対策の基本は上記に挙げたことをなるべく避けることである。
特に小さい番号ほど対策をする必要がある。

①の夜ふかしは、元々夜型の人や、昼寝を取ると若干違う。
といっても、できるなら夜12時前には寝ている状態にしたい。
③の睡眠不足も、個人的には、かなり気の乱れを感じる。
睡眠と瞑想の成果は非常に関係が深く、
良い睡眠が、良い瞑想結果を生む、といっても過言ではない。

②の目の使いすぎについてだが、
これは、現代人にとってかなり辛いと思われる。
デスクワークなら目を酷使するのも当たり前だし、
特に良くないと思われるのは、スマホなどの端末を四六時中いじってることだ。
はっきり言って、休む暇なく目を使うのは、メチャクチャ気を消費しているので、
最低限インターバルを設けるぐらいはした方が良い。
また、これについては某仙道書で普段なるべく目を瞑っている方が良いとある。
人は、目からいつも大量の気を出しているので、それを抑えるだけでも相当違う。
個人的には電車で座っている時くらいは目を休める方がいいと思っている。

⑦についてだが、
これも、けっこう瞑想に影響が強かったりする。
某仙道書やタオイストなどの本を見ると100日位は禁欲した方が体に良いとか、
けっこう無茶なことが書かれていたりする。
個人の意思が強い人は、そういうやり方も良いのかもしれないが常人では無理だ。
といっても、これはある程度抑制する程度で十分だと個人的には思っている。

注意して欲しい点としては、
自慰だと24時間位、性交だと48時間位は気が乱れてしまうので、
その間は瞑想を控えるのも一つの選択と言える。
ただ、長期の禁欲をした場合は、一回精を漏らした位ではほとんど影響はないらしい。
某仙道書では2ヶ月禁欲してから漏らしても、全く気が乱れなかったとある。
個人的に丁度良いと思うのは一週間に一度位に抑えることができれば良いと思う。
なぜなら一週間に一日位は瞑想をしない日があっても良いと思うからだ。
因みに経絡小周天を習得する上で、異性はあまり良い働きをしない可能性が高い。
特に新婚さんなどは、夜の仕事で気が乱れまくるので、
そういう時期に瞑想の行を深めるのは、かなり難しいと思われる。
そんな時はいっそ瞑想は諦めて、仕事なり趣味に精を出した方が良いだろう。

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2015-04-11

小周天の効果と条件

「小周天の効果と条件」

前回の小周天の概要に続き、小周天ができるようになると、
どういった効果があるのか?
また、小周天を行うために必要な条件とは何か?
今回はその2点について書いていこうと思う。

まず、小周天ができるようになると、どういった効果があるか?
自分が小周天ができるようになって確認したのは以下のものだった。

①小周天の出来不出来が体調のバロメーターになる
②体が無理をしようとしても気がストッパーになっていった
③自分にとって良くない行動が段々できなくなった
④気分的にはやや軽くなっていく
⑤朝寝起きが楽になってくる
⑥経絡周天は気の調整効果が高かった

これを見て分かるように、私の場合の小周天の効果は、
なんでも超人的にバリバリこなすようなエネルギーが湧いてくる、
といったものではなく、体の活力と行動にバランスがとれてくる、
といった感じのものだった。
そういうことだから、超人的な効果を小周天に求める人には、
ちょっとイメージが違うかもしれない。

次に小周天に必要な条件を挙げていく。

①気の感覚化ができること。
②感覚化した気に正しく意識をかけることができること
③一日の内30分以上は瞑想にかける時間があること
④重度の精神病の強い症状が出ていないこと

意念周天に必要な条件は以上のような感じだろう。
まず、気の感覚化はできないといけない。
また、気の感覚に対して意識をかけて調整できるぐらいはできないと、
小周天のように気を回すことは困難だ。
また、最低でも一日30分は瞑想に時間がないと良くないだろう。
意念小周天の段階で、それ以上成果を求めるつもりがなければ、
数日に一回行う程度でも問題はないかもしれない。
最後に現在重度の精神病にかかっており、かつ現在症状が出てる人は、
小周天や瞑想は行ってはいけない。
気がアンバランスな働きをする可能性があるので、
病気が落ち着くまでは瞑想行為全般は避けるべきである。

さてこれに加えて次の段階である、経絡周天は次の条件も必要だ。

⑤体がある程度健康
⑥気をすり減らさないようにすること
⑦一日60分は瞑想に時間をさけること
⑧毎日瞑想する根気が必要

経絡周天は意念周天よりも難易度が高い。
それは気にある程度の強さというか力がないといけないからだ。
そのため、気をすり減らしたり、損なうことは避けなくてはいけない。
例えば、朝から晩まで働いて、ヨロヨロになって帰ってくる、
という状態ではとても気が充実するわけないので難しい。
そのため、忙しい社会人が実践するのは大変かもしれない。
休日にまとめてやれば・・・という考えもあるかもしれないが、
やはりちゃんと毎日座った時と比べれば、成果には大きな差がつく、
瞑想は毎日やった方が効果が高く、
瞑想にかけた総時間が同じでも、成果は変わってくる。

また、一日60分としたのは、気が一周する時間は人によって違う、
しかし大体60分あれば一周ぐらいはできるからである。
一日60分の瞑想を根気強く毎日(正確には出来ない日もあるが)
続けていくことが、経絡小周天を独学で行うには必要な条件だろう。

個人的に思うのは、チャクラ・チューニング→意念周天→経絡周天
といった順序で、技術を習得していくのが一番合理的のように思う。
それぞれの段階で学ぶべきことはたくさんあり、
少なくとも一つ下の段階のものが出来なければ、
その上の段階のものは挑戦しても取得は困難だからだ。
かくいう私も瞑想で試行錯誤した結果、上述の順序で習得することになった。

次回は気の浪費を避ける方法について書きます。

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2015-04-04

精神世界と金額

「精神世界と金額」

精神世界にいる人間ていうのは、有象無象が多くて、
はっきり言って、容易な気持ちで近づくと危険な世界だと僕は思っている。
本当に有能な人って言うのもいると思うんだけど、
それ以上に近づくと火傷するような人も多いと思っている。
なぜ、そういった歪んだ部分が多いのか、
それは、精神世界を悪用すれば、金になるからだ。

人を騙せば罪になることは当たり前だが、
精神世界では、騙されたかどうかも分からず搾取される、
といったことが、日常的にあるように思う。
なぜなら、精神世界は目に見えないものを扱っているからで、
はっきりとした結果を、形に残すことが難しいからだ。

そして、精神世界ほど金額がアテにならない世界はまず無い。
普通、世の中にある物っていうのは、その商品とかサービスに対して、
それなりのコストや労働力が掛かっている。
だから、安かろう悪かろうは基本的な事だし。
高い物はやっぱり安心感がある。

しかし、こと精神世界に限っては、これが通用しない。
なぜなら、本来、精神世界が提供する何か?って言うのは、
高いコストや労働力が掛かるものじゃないことが多いからだ。

つまり、精神世界において金額というのは、全くアテにならない。
高ければそれに見合った物である、という保証がどこにもないからだ。
むしろ、高額な物やサービスほど、実際には大したものではないことが多いと思う。
何故かといえば、良からぬこと考える連中にとっては、
原価はタダみたいなものが、高額で売れれば、それに越したことはないだろう。
高額な物やサービスになると、そういった連中とぶつかる可能性も増える。

逆に低額か、タダ同然の物の方が、まだ信頼できることが多いように感じる。
(といっても、そもそも人を集めることが目的だったり、
最初は餌を撒いているという可能性もあるから注意は必要だけど・・・)
なぜ、低額だったり、タダ同然の物の方が逆に信頼できるのか?
それは、少なくとも提供する側に儲けようとする意思があまり無いからだ。

普通の感性を持っていれば、精神世界を高額な値段で売りつける、
そういうことをするとは思えない。
というか金儲け前提で、精神世界と関わっているなら、
目的が精神世界の共有や探求から、金儲けにすり替わっているからだ。
確かに、実際には高額な対価も請求して、実力も伴っている人はいるだろう。
ただ、傾向からいくと、低額な対価を要求する場合より、
高額な対価を要求してくる場合の方が、その内容に対する怪しさを私は拭えない。

そういう訳であって、
精神世界において、いかにも金回りが良さそうだったり、華々しく見える、
そういった人物や団体は、偽物の可能性が低くないと言える。
逆に小じんまり、細々とやっている方が、
実は、霊的にはとんでもない実力を持っている可能性がけっこうあるのだ。
だから、見た目とか、値段とかで精神世界を判断するのは愚の愚もいいところ、
じゃあ、結局の所、最終的に何を頼りすればいいんだよ、っていうと、
自分の直感と判断力しか頼れるものは無いと僕は思っている。

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--関連記事--
「宗教と真理」---宗教と真理の関係性について。

2015-04-03

猫背と胸を張ること

「猫背と胸を張ること」

今回は胸を張る姿勢について記事を書きたいと思います。

突然ですが、皆さんは胸を張ることについて意識したことがあるでしょうか?
おそらく意識したことがある人は猫背などで検索したことがあると思います。
これについて考えた事がなければ、日常で意識することも無いと思います。
しかし意外と、この猫背気味の姿勢というのは弊害があります。

そもそも背骨というのは人間にとって非常に重要な器官となります。
ここに異常があると、諸所の弊害が起きやすくなるのです。
今回は科学的、生理学的というより、
主に気功的な観点で姿勢、主に胸と背中についてお話します。

まず気功的な観点で言えば、
胸はある程度、張っていた方が良いと言えます。
では、そもそも胸を張らないで、逆に猫背気味だと何がますいのか?

まず、一つ言えるのは、
胸は体の気の重要な通り道にあるので、
猫背気味で胸がくぼんだ姿勢だと、気が胸で停滞してしまうのです。
胸で気が停滞すると、必然ここにある器官が、異常な状態になります。
胸には第4番目のチャクラである、アナハタ・チャクラがあります。
従って、胸に気が停滞する = アナハタ・チャクラが乱れる
ということになり。アナハタ・チャクラが乱れた時の症状がでます。
このチャクラが乱れると、気持ちの落ち込みや、不安等の感情が高まります。

二つ目に言えることは、
胸と反対側の背中も、気の重要な通り道ですが、
猫背になっていると、ここでも気が停滞しやくなります。
ここも、気が停滞すると諸所の弊害が発生しやすくなるので、良くないのです。

という以上2点の理由から、猫背は良くないといえるのです。

では具体的にどうすれば良いかと言うと、
単純ですが、常にある程度胸を張っていれば良い、ということです。
「ある程度」と書きましたが、なぜこういう言い方をするのかというと。
胸を強く張りすぎて、背中に負荷がかかってしまうと、逆効果だからです。
胸を張る時は、背中に負荷がかからない程度に胸を張ることが大切です。
また、胸を反って突き出すような姿勢にならないよう、
背骨をある程度真っ直ぐに、アゴをやや引いていると良いでしょう。
特にポイントなのは、長時間同じ姿勢でも辛くない姿勢ということです。
これは癖にしてしまえば、そんなに苦労しません。
猫背の人は、何をする時も、胸をある程度張ることを意識してみてください。

胸を張っていると、
なぜか自信が出て、コミュニケーションしやすい、という人がいるようです。
なぜ、あまりビクビクしなくなってコミュニケーションできるのか?
なぜかということを、気の観点で説明すると、
アナハタ・チャクラが正しい働きをするようになるからです。

また、ちょっと変わった話ですが、
胸を張ることを意識し始めた際、一時的にお腹が緩くなることがあります。
なんでこんなことが起きるのかというと、
胸で停滞していた気が、邪気といって良くない気に変わっていて、
胸を張ることによって、今まで胸にあった邪気がお腹の方に通り抜けます。
そうすると、今度はお腹が調子を悪くすることがあるのです。
しかし、これは一時的なものなので通り過ぎれば収まります。
これは、好転反応の一種と思われます。

以上、猫背と胸を張ることの考察でしたが、何か参考になれば幸いです。

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