2015-09-29

なんでもかんでも捨てちゃいます(非定期更新)

僕は今まで多くを捨ててきた。
それは社会的なカネとか地位とかはもちろんそうだし、
最近は趣味の領域にも広がってきているし、
ついに神秘行に対してもそのような傾向にある。

昔は神秘行に憧れをいだいていた。
それは超人になるとか仙人になって不老を目指すとか、
そんなことを真剣に考えていた。
近頃神秘行の段階は段々と深まっている。
でも、最近は神秘行に対する欲望も無くなった。

僕は様々な欲望を捨ててきたことによって、
ついに僕自身がニュートラルな状態になりつつある。
普通の人は社会的なことに必要以上の欲望を持つ。
僕はそれがない。
ちょっと変わった人は、精神世界に必要以上の欲望を持つ。
僕にはそれがない。

僕は人間として存在しているのに、
何にもなくなった空っぽのような人間だ。
だが、ただ空っぽではなく、満ち足りた空っぽなのだ。
不自然さが全く無くなって、
自然のまま世界に漂っているようだ。

それでもこんなことを書くぐらいだから、
きっとまだ人間らしさは残っているのだろう。
僕は不自然なままどんなに頑張った所で、
自然に生きることよりも幸せになるとは思わない。
だったら世界にプカプカ浮かんでいるのもいいだろう。
それを楽しむのは、欲望を捨てた人生の醍醐味かもしれない。

2015-09-26

正しい方向性と技術力

「正しい方向性と技術力」

過去から現代までの世界の変化を見て分かることは、
多くの技術によって、人類は進歩と発展をしてきたということです。
我々の現在の生活を支えているのは、
過去から現在までに至るまでに得た、様々な分野の多くの技術のおかげです。

それは、技術が世界を変えることのできる、非常に強い武器だということです。
しかし、それは必ずしも良い方向であるとは限りません。
私達はコンピューターを使うことが出来るようになりました。
好きな時に食べ物を温めることも、部屋を快適に過ごす温度にもできます。
昔は何十日も歩かねばならない道も、1日で移動できるようになりました。

その代わり、石や木で傷つけ合っていたのが、
棍棒となり、剣となり、弓矢になり、銃になり、爆弾、ミサイルになり、
一度に何十万人もの人間を殺すことの出来る道具も作ってしまいました。
人を殺す技術というのものも、多くの技術の発達により進歩したのです。
私達は豊かな生活と引き換えに、自分の首を絞めることもしています。

技術というのは、大変な力を持っていますから、
間違った方向性に、その力が向いてしまうと、人類は衰退に近づくのです。
では、正しい方向性というのは、どういうことでしょうか?

何をもって正しいとするか、それは個人によって変わるかもしれません。
私が問われれば、人類が生存のために争うことの無い世界、と答えそうです。
少なくとも大多数の人は、人類の滅亡からは遠ざかる方向性を答えるでしょう。

その方向性を目指すために、私が今人類に最も必要だと思うものは、
内的世界を習熟させるための技術が、さらに効率化、体系化され、
一般化することだと考えています。

今まで、こういったものは、数々の危険性や、様々なしがらみにより、
多くのものは公開されていなかったと思います。
しかし、私は人類の精神的変容には、これらの技術が必要だと考えています。
精神的変容なくして、人類の安定はありえない、と私は考えます。

今まで人間の歴史の中で生きた、その多くの人間が、
自分という存在の外側に、多くの価値を置いてきたと思います。
自分の外側にあるもの、お金や、地位や、物質的な資産です。
場合によっては、様々な宗教の神という場合もあるでしょう。

こういった、自分の外側にあるものに価値を置こうとすると、
人間のエゴが刺激される結果になります。
すると自然に、奪い合うことに繋がったり、争いを引き起こします。

自分の外に価値を置くか、内に価値を置くか?
この最初の一歩の選択に、人類は失敗し続けているから危ういのです。
人類は、外から内への選択の転換が必要である、と私は思います。
人類の敵は外側にいるわけではないのです、
それよりも自分の内側が、最大の敵となり、最大の協力者となるのです。

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2015-09-20

小周天とチャクラチューニング

「小周天とチャクラチューニング」

今回は、小周天とチャクラチューニングの関係について少し記事にします。

小周天とチャクラは互いに関係が深く、
小周天を行うなら、チャクラについても理解しておいた方が良いでしょう。
というのも、基本的な小周天で気を通す任脈、督脈という経絡は、
チャクラがある場所の経絡に気を通すことになります。
これは、チャクラへの影響は非常に大きいと見るべきです。

さて、当ブログでチャクラといえば、
チャクラを調整する方法の一つとして、私が当ブログで提示している、
「チャクラ・チューニング」があります。
チャクラ・チューニング(以下書くのが面倒なので"CT"と略します)は、
小周天の予備段階、補助技術として、役に立つと私は考えています。
私は小周天より前に、CTを行ってみることをオススメします。
オススメする理由は以下の通りです。

理由①:小周天に必要な気の感覚の調整方法が学べる
 小周天とCTの違いは、気の感覚を、
 線として捉えるか、点として捉えるかの違いです。
 小周天は任脈、督脈の経路としての線の形の動き、
 CTは各チャクラに対して点の形の感覚です。
 しかし、その基本は全く同じで、内面の各所に意識をかける、
 という点では、動的な気の動きの小周天よりCTの方が簡単です。

理由②:チャクラを調整することによって早く陽気が開通する
 小周天はチャクラがある気の通り道に陽気を通す、ということを行います。
 そのため、どこかのチャクラが酷く働きを損なっていると、
 そこで陽気がストップする可能性が高いです。
 陽気が開通するまでじっと待つということもできますが、
 チャクラが乱れているのであれば、
 そちらを先に調整してから小周天に入った方が流れがスムーズです。
 気持ち的にも、いつまで掛かるんだ、という焦りも少なくなります。

理由③:小周天の弊害をチャクラチューニングによって解消できるようになる
 小周天は本当の神秘行の入り口にあたる行です。
 本当に効く薬は、扱い方を間違えれば毒にもなります。
 ですから、毒を飲んでしまった時も、ある程度対応できなければなりません。
 小周天は、その行の性質上、気の弊害が出やすいと言えます。
 もし気の弊害が発生した場合、気に対する調整がほとんどできないと、
 医者も治せない症状に、泣き寝入りになってしまう可能性があります。
 そうなると、行を止めるしか選択肢が無いのです。
 そういった時のために、CTで気の調整をある程度できるようにしておけば、
 最低限、解決策を模索することはできます。

理由④:点状の感覚を身につけると、それを繋げる気の流し方は簡単になる
 小周天では経絡上の各地点に気の感覚を持つことが必要です。
 例えば、会陰(体幹部の一番下)と、尾てい骨と、二つの肩甲骨の中心点に、
 あなたは瞬時に意識をかけることができるでしょうか?
 多分、慣れていないと難しいのではないでしょうか?
 こういった場所は常日頃から意識をかけないと難しいと思います。
 小周天は、さらにこれらの感覚を繋げて気の感覚の輪を作ります。
 ですから、まず点状の感覚を知覚できなくてはいけません。
 そして、いきなり気の輪を最初から作るよりは、
 点状の感覚を先に作って、それを繋げていく方が簡単なのです。 
 
某仙道書などでは、小周天は初歩の行のような扱いで、
少し練習すればマスターできると思われている方もいるかもしれません。
確かに仙道全体の行から言えば初歩の初歩と言えるかもしれません。
しかし、基礎が疎かになっては、仮にその状態で上の段階に行ったとしても、
どこかで行き詰まるか、下手すると文字通り致命的な失敗をします。
気の感覚を作る、気を発生させる、気を調整する。
これらは全て基礎であり、しっかりマスターできなくてはなりません。
ですから、小周天は基礎の基礎から一歩一歩進めていく方が確実です。
その時、CTも基礎の一つとしてできるようにしておく方が良いと私は思います。

この記事が皆様の何らかの参考になれば幸いです。

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2015-09-11

小周天の段階

「小周天の段階」

小周天の段階として、4つの段階があるのは、
「小周天とは」の記事で説明した内容でお分かり頂けたかと思います。
これは、気の通り道についての段階を示したものです。
ですが、小周天にはこれとは別の見方の段階があります。

それは、気を経絡に沿って移動させることができる、という段階と、
気を練って良質のものに変化させていく、という段階の違いです。
実は、この気の処理を基準とした段階の方が神秘行では大切です。

気を督脈や任脈に沿って回すことを目指して、
意念周天や、経絡周天の修練を積んでいる状態は、
古書の表現によると、「小周天」とは書かれていません。
では、なんと表現しているかというと「三関を通す」と書かれています。

私が見た古書には、三関の説明は詳しく載っていませんでしたが、
おそらく、文脈からして尾閭、夾脊、玉枕のことを指すのでしょう。
この三つの場所は、気が通りづらいので、そこを気が通るようにする。
ということです。

それでは、その古書において小周天はどのような状態を指すかというと、
薬(よく練った良質の気の塊)を督脈、任脈で運用することを指します。
この三関を通ると、薬を練るのは、それほど差がないと思うかもしれませんが、
わざわざ区別して考える、という文言が古書にあります。

前者の三関を通すというのは、築気という段階であり、
後者の薬の運用は、煉精化気という次の段階なのです。
従って、小周天の意味合いがごっちゃになりやすいです。

一般的に言えば気が督脈、任脈を通れば小周天ですが、
それは、まだ三関を通して気が体を巡るようになった段階なのです。
ですから、小周天は気を変質させていく段階に入って本物なのです。

さらに最初に示した、気の通り道による段階もあるので、
同じ小周天と分別されても、ピンからキリまでの差はかなりあります。
程度の低いものは全然大したことないし、高度なものは半超人的です。

ちなみに、当ブログの小周天コンテンツも、
現在は三関を通す、という意味での小周天を主体としています。
なぜならコンテンツ名が「三関を通す」だと、
小周天とするより意味がさらに分からないからです。

といっても、三関をきちんと通すだけでも独学では大変です。
神秘行入門からなら、ちゃんと毎日修練をしても、
最低半年、普通1年以上、長ければもっとかかるでしょう。

薬が練れるようになるのはさらにその先です。
さらに先には煉気化神とか、大周天とかの段階があります。
この段階まで到達して、ようやく神秘行の超人的作用が働き始めます。

某仙道書では、あるヨガ修行者が大周天到達まで16年かかって、
そんなことでは、そのうちにお釈迦になってしまうと書いていますが、
僕はおかしいとは思いません。

独学で小周天に数年がかりなら、大周天到達にはさらに時間が掛かります。
神秘行は一生ものですから、時間がかかって嫌だ、すぐに超人になりたい、
というのなら、健全な社会生活を送る方がきっと不幸にはなりません。
あせって行を進めた所で、体や精神をおかしくするのがオチだからです。

某仙道書はそんな所を詳しく生真面目に書いたら売れなかったでしょうし、
多分、作者も商業用として出しただけのことでしょう。
それは作者が悪いのではなく、
厳しい現実を突きつける「本物」を求めない大衆のせいだと僕は思います。

神秘行は本気で取り組むと、自分の時間をかなり投資してなくてはならず、
その結果、社会資源の獲得に労力を大きく割くことが難しくなります。
つまり、社会的成功と神秘行の達成は、基本的に相反な関係です。
神秘行の達成とはそういう道なのです。

某仙道家のように両方を揃えられるのは特例的なケースでしょう。
ですから、夢を壊すようですが、
普通に生きたい人は、あまり神秘行に深入りせず、
気の世界を少し利用して社会的に豊かな道を行く方が僕は賢いと思います。

この記事が皆様の何らかの参考になれば幸いです。

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2015-09-05

失いづらい物

「失いづらい物」

世の中には色々な物がありますが、
我々人間は、いつでも得をする物を獲得したい、と考えています。
そして、得た物は失いたくない、と考えるものです。

多くの人は直ぐに役に立つ物ほど、価値が高いと考える傾向にあります。
直ぐ役に立てば、それで良いと考えているのでしょう。
しかし、実は直ぐに得ることができる物は、直ぐに失う可能性があり、
直ぐに役に立つという物は、その効力を維持することが大変なのです。

失いずらい物とは、
得たとしても直ぐに役に立たない物だったり、
得ようとしても時間が掛かって、直ぐに得られない事が多いのです。

ある例え話をしましょう。
あなたは釣りをしている人を見ていました。
その人は全く魚が釣れず、あなたは何かしてあげたいと思いました。
その時あなたは二通りの選択肢があります。

 ①あなたが釣った魚を分けてあげる
 ②魚の釣り方を教えてあげる

もし、ここであなたが①を選んだ場合、
あなたは即物的な物を求めていて、相手もそれを喜ぶと考えています。
②を選んだ人は直ぐには成果が出ないかもしれません。
しかし、相手を自立させ、それが価値ある事だと知っています。

②に比べて①は直ぐに相手に喜ばれる行為ですが、
魚を分けてくれるあなたが明日居なくなったら、それ以上の利益は期待できません。
対して②は直ぐに効力は出ないかもしれませんが、
もし、魚を少しでも釣れるようなれば、その人は一生釣りと魚を楽しめます。

この例えは、①は金銭の譲渡、②は技術の譲渡を意味しているのです。

お金そのものを得ることは、可能性としては直ぐに達成可能です。
先の例のように、何らかの物を他者から譲りうければ即利益となります。
他にも、例えば宝くじに当たったりでもすれば大金も手に入るでしょう。
ですが、その代わりお金はいつ失っても不思議ではありません。

泥棒に入られたり、散財してしまったり、可能性はいくらでもあります。
それは、お金が物質的なもので、増えることもあれば減ることもあるからです。

逆に技術はどうやっても一朝一夕で得ることは、まず難しいでしょう。
その代わり失う可能性は、お金よりも少ないはずです。
なぜなら、物質的でないが故に奪うことが難しいからです。

技術はコピーされる、という意味で盗まれる可能性はありますが、
自分の技術を忘れさせる、ということまではできません。
ですから、技術はお金よりも失いづらい物なのです。
そして、技術はお金そのものよりも継続的に利益をもたらしてくれます。

物質的な「物」を得ることは直ちに自分の利益となります。
ですが、直ぐに無くなる可能性があるので、ある意味危険なのです。
こういったものに価値を置き過ぎると、
ちょっとした社会の変化などで自分に大ダメージを受ける可能性があります。

なぜ、私が精神世界を重視するのかというと、
「物質的でない」ということがポイントなのです。
どう環境が変化しても、そう簡単に価値が変わらず減ることがない物、
それは僕の場合においては、精神世界の技術なのです。

精神世界の技術は、自分の意識と体さえあればどこでも使えます。
ですから、僕は崇高な思想ではなく打算で精神世界を選択したのです。
その代わり直ぐには華々しい成果はありません。
最初は茨の道になるでしょう。その代わり後は安全に歩くことができます。
ですから、僕は精神世界に重きを置いて失うリスクを下げているのです。

これから世の中は大きく変化していく可能性があります。
そういった中で、物質的な物ばかりに自分を投資をするとリスクが高まります。
ですから、失いづらい価値ある物に重きを置いていれば、
どんな状況になっても、何もかも無くなって泣きをみる、
ということは少なくなるのではないか、と私は考えているのです。

この記事が皆様の何らかの参考になれば幸いです。

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