2016-01-30

理性的な判断をするためには

「理性的な判断をするためには」

精神世界を含めて世の中というのは偽物が非常に多い。
ただ、精神世界はそれに輪をかけて偽物が多い。
だから、今回は偽物や低級なものをどうやって見分けるか?
そのことについてちょっと書いてみようと思う。

世の中に存在するものには、必ず利点と欠点がある。
物事を教える時、この両方を出してこない人間は信用出来ない。
例えば、今回は分かりやすい例を出してみようと思う。
皆さんは、以下三つのハサミの説明を見て頂きたい。

ハサミの説明①:
 ハサミは非常に便利なもので、
 これ以上に便利なものは、この世に存在しないでしょう。
 ハサミはいくら使っても問題なく、危険性は何もありません。
 様々な紙を切ることができるし、
 ちょっとした工作もハサミでできてしまいます。
 皆さんもハサミを使わないと絶対に損します。

ハサミの説明②:
 ハサミは危険性があります。
 例えば指を挟んだりすれば、切れてしまうこともありますし、
 人に向ければ凶器として使うこともできます。
 先が尖っているので、誤ってそこを人に当ててしまうと、
 ケガをすることだってあるでしょう。
 ハサミはとても危険なので使わない方がいいのです。

ハサミの説明③:
 ハサミは様々なものを切ることができるので便利な道具です。
 あまり硬いものを切るのは向いていませんが、
 柔らかいものや、薄いものは切りやすいです。
 ただ、ハサミは切る部分が鋭いので、扱いに気をつけましょう。
 子供がいたずらすると危険ですので、
 小さなお子さんがいる方は、手の届かない所に保管しましょう。  

以上、ちょっと極端な説明例を出してみた。
皆さんはこれを見て、おそらく違和感を感じる説明があると思う。
ざっと解説すると、

 ①はハサミが便利なことだけ書いている
 ②はハサミが危険なことだけ書いてる
 ③はハサミは便利だが時に注意が必要だと書いてる

ハサミの説明として本来推奨されるのは、③であることはわかると思う。
これは皆さんがハサミを知っており、その内容を理解しているからだ。
しかし、これが気の世界とか、精神世界の話になると状況は変わる。
多くの人が①や②のような説明文に引っかかる可能性がある。
なぜなら知らないことに関して、人間は子供同然の判断力だからだ。

①や②は人を誘導しやすい説明文である、
①は利点ばかり書くから、それをやらないと損だなと判断しやすいし、
②はこんな危険・欠点があるなら、止めておいた方がいいなと思いやすい。
従って特に①などは理性的でない人間を誘導して、
金儲けを行ったり、信者を作りやすい。

だから、他者を蹴落とす②のような説明と、
自分だけ持ち上げる①のような説明ばかりする人間は非常に怪しい。
それは、明らかに自分の利得を計ることだけを考えているからだ。

では、どうすればいいのかというと、
まず、必ず利点と欠点はセットということを頭に入れておくことである。
それを理解しているだけでも、衝動的な欲求はだいぶ減る。
これは良いことのように見えるけど、何か欠点を隠しているのでは?
ということを常に考えるようになるからだ。
悲しいかな、この世は都合の悪いことは蓋をする人間が多いので、
このように思考しないと、常に危険と隣り合わせである。

自分は大丈夫と思っていても、
半洗脳状態に持ち込まれたり、自分が詳しくない世界に引き込まれると、
途端に人は道を誤る可能性がある。
一番危険なのは、自分は大丈夫と考える人である。
もしかしたら、自分も騙される可能性があるかもな。
と、思うのが最も警戒心を怠らない態度であるといえる。

知らない物事を知ることは難しい。
知らないことでも、ある程度理性的な判断を下すためには、
利点や欠点ばかり強調する人間を避けたり、
物事の利点と欠点をよく調べ、精査することである。

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2016-01-23

瞑想の欠点

「瞑想の欠点」

瞑想について語られることの多くは、その利点ばかりが注目されます。
しかし、この世界は利点があれば、必ず欠点が存在します。
ですから今回は瞑想の欠点に注目して記事を書きたいと思います。

そもそも瞑想とはどういった行為なのか?
それをまず理解していないと欠点というものは見えてきません。
多くの瞑想というのは、内面と向き合い、調整していくという行為です。
瞑想は、その過程において様々な内面の変化をもたらします。
ですから、自分の状況によっては良くない変化となることもあり得ます。


瞑想の欠点1:

瞑想における内面の変化で最も顕著なものは、
感性が人よりも鋭くなってくることです。
普通の人が捉えられない微妙なことでも、
瞑想によって感覚が冴えていき、捉えることができるようになります。

これは、ただ字面だけ追えば人よりも能力が優れていく、
だから、いいことなのではないだろうか?と思うでしょう。
しかし、逆に言えば人が影響を受けない部分まで自分は感じてしまう、
ということも言えます。

瞑想を行うことで結果として悪くなる典型的な例を挙げると、
人間としてギリギリ耐えられるストレスを受ける環境において、
現状はギリギリで耐えているのに、
心の安らぎのために瞑想を初めてみる。というのは危険です。

瞑想は普通の人より感性が強くなるので、
現状のストレスとなる要因に対して、
さらに感受性が高くなるパターンがありえるからです。
そうなれば、どういうことになるかは皆さんも想像できるでしょう。
精神崩壊や最悪のケースは自殺を含めて死ぬ可能性もあります。
このように、感性が鋭くなることには欠点も存在するのです。

瞑想を継続して行っていく上で、鋭くなった感性でも、
劣悪な環境から影響を受けないテクニックは確かにあると思います。
しかし、瞑想初心者であれば、そこまで対策することは不可能です。
ですから、瞑想にはこういった危険・欠点があるのです。


瞑想の欠点2:

瞑想は自分の内面を調整していくことから、
自分の悪い部分と向き合うことになります。
また、日々の生活において自分に合ってないことや、
自分にとって不利益となる行動をすることが難しくなってきます。

これは、長期的に見ればプラスとなる場合が多いと思いますが、
短期的にみれば、自分にとって苦しい状況になることもあります。
自分が変化していく中で、苦しい経験をしたり、
今まで自分が楽しめていたことが楽しめなくなる、
そういったことが起こりえるのです。

例えば、人間関係でもこれは起こりえます。
ある人と一緒にいることがとても楽で幸せだったに、
瞑想を始めることで、感覚が変化していき、
あまり面白みがなくなってきた、ということもあり得ます。
瞑想は内面から変化を与えるので、感じ方が変わってくるためです。

必ずしも、こうなるとは限りませんが可能性としてはあり得るのです。
ですから、「今」の状況を全く変化させたくない、
そう考えている人は、下手に瞑想に手を出さない方が良いといえます。
瞑想は単なる健康法ではないのです。

瞑想による変化は、多くの場合長期的にみれば良いことです。
しかし、それによってもたらされる変化は、
必ずしも自分の目的と一致しているとは限りません。
そもそも瞑想をしなくても、今とても幸せだ、
という人は、瞑想をする意味がありません。
瞑想とは今人生を楽しめない人が、楽になるためにする行動だからです。


今回以上2点において瞑想の欠点を書いてみました。
瞑想とは、ただ良いことばかりとは限らない。
そういったことを皆さんが理解して頂ければ幸いです。
これを見ても、それでも瞑想をしたい!
という人が、瞑想することに価値がある人なのです。

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2016-01-16

陽気の合理的発生法

「陽気の合理的発生法」

最近、私は意識的な小周天をほとんど行っていない。
というのも、小周天よりチャクラ・チューニングの方が重要で、
小周天まで手が回らないと言った方が正しい。

今回、ある方から陽気発生についての質問を頂き、
また、小周天の記事の要望も多いことから、
一時的に陽気発生法について再研究を行うことにした。
若干以前と違うことを発言するが、
今回(2016年1月)の再研究による変更点なので、ご理解頂きたい。

さて、まず陽気発生に基本となる要素が3つある。
これら3つが陽気の発生には大きく影響する。

①体の緊張具合
②呼吸の方法
③意識の掛け方

まず①であるが、
気というのは、基本的にリラックスした方がエネルギーが高まる。
この辺は、なんとなく分かりづらいのではないだろうか?
強く力を入れるより、軽く力を入れるか、力を抜いている方が気が充実する。
ということで、まずは体の無駄な力みを取り除きリラックスする。
これが大切である。すると自然と気が高まってくる。

次に②について、
今回以前と違う部分があるというのは、この②についてである。
以前の私の投稿では、呼吸は自然のままの方が良い。
という書き方だったが、今回は再研究により意見が変わった。
最も陽気を発生させやすい呼吸とは、軽い腹式呼吸だった。

といっても某仙道書のように各所に力を入れたり、
荒々しい呼吸はかえって陽気が散ってしまうように思う。
あれは商業用というか、あくまで某仙道家のオリジナルな気がする。
腹式呼吸でも苦しくない程度で、腹が前後に軽く動くのが良いと思う。
私の場合、呼吸を全く調整しないより、質の高い陽気を生産できた。

次に③について、
意識の掛け方には、特に変更がない。
基本として丹田への集中は、強すぎてもダメ、弱すぎてもダメだ。
強すぎるとリラックスできずにかえって気が散ってしまう。
また、逆に弱すぎると気が集まってこない。

この辺は感覚的なことなので、正確にお伝えするのは難しい。
軽く意識をかけることが要点であり、
イメージとしては面白くないTVをノンビリ見る感じ、
本を軽くパラパラ斜め読みするぐらいの意識の強さに近い。

①②③を改めて読みなおしてみると、
これは白隠禅師の広めた、内観の法とそっくりである。
違いは寝そべって行うか、座って瞑想で行うかの違いぐらい。
今回の研究成果と他のメソッドが一致していたのは面白いと思った。

今回の①②③の注意点を守って瞑想を続けていけば、
おそらく、いずれ陽気の発生ができるようになると思う。
といっても、今まで瞑想してなかったのであれば、
ちゃんと陽気が発生するには、それなりの期間がかかる。
毎日座っても最低一ヶ月は何の変化が無くてもおかしくはない。

基本的に瞑想とはスポーツのようなものだ。
全く泳げない人が、今日一日水泳教室にいったから、
皆が皆、すぐ泳げるようになるかと言われたら疑問だろう。
逆に言えば、すぐ泳げるようになる場合もあるかもしれない。
この辺は、センスの差とか、その人間によるとしか言うほかない。

まぁ何事も継続して行わなければ、そう簡単に成果は出ないものだ。

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2016-01-09

チャクラ・チューニング要訣2

「チャクラ・チューニング要訣2」

チャクラの調整というのは、常に絶妙のバランスを要求されます。
瞑想の要点とは、常にこのバランスを取るように行うことです。

例えば瞑想に入った直後、まず体のどこが傷んでいるか?
もしくは、どこにエネルギーがありすぎるか?
こういった事を正確に捉える必要があります。
ただ座って瞑想すれば素晴らしい効果が得られるわけではありません。

常に、その日その時によって人間の状態とは変化します。
その時によって、最適な瞑想の手順というのは変化するのです。
これは体が何を必要としているか?という医療的な判断と似ています。
あなたは、怪我した時に風邪薬を飲んでも無駄なことは分かるでしょう。
逆に風邪の時にギプスを付けても意味がありません。
それと同じように、今日瞑想に必要な手順とは常に一定ではありません。

では、その瞑想の手順とは何なのかというと。
どのチャクラに意識をかけて調整を行うかということです。
一口にチャクラといっても、チャクラの数は基本的に7つ。
さらに2~5チャクラの前後を加えれば全部で12通りの場所があります。
自分がどんな状態の時、どのチャクラが有効か、
これを日頃から瞑想し、自分でしっかり研究しておくことが大切です。

私の場合、現在は以下のように使い分けを行っています。

第1チャクラ:風邪の時、みだらな妄想が湧いた時
第2チャクラ前面:クリエィティブなエネルギーが枯渇した時
第2チャクラ背面:仕事や肉体労働で体がとても疲れている時
第3チャクラ前面:人間関係的なストレスを感じている時
第3チャクラ背面:このチャクラに痛みや違和感ある時
第4チャクラ前面:私の重要地点、このチャクラに痛みがある時
第4チャクラ背面:私の重要地点、まず一番にここを調整する
第5チャクラ前面:異常がない限りはここを調整しない
第5チャクラ背面:異常がない限りはここを調整しない
第6チャクラ前面:このチャクラに圧迫感、違和感がある時
第6チャクラ背面:このチャクラに痛みや違和感がある時
第7チャクラ:このチャクラに気が集まった時

これはあくまで私に最適化されたデータですので、
必ずしも皆さんが、この通りにやってうまくいくとは限りません。
しかし、私がこのようにチャクラを細かく使い分けている、
ということはお分かり頂けると思います。
チャクラは、このように適材適所といった感じで、
今自分が意識をかけるべき場所とは、常に変化しているのです。

また、以下のような観点でもバランスが要求されます。
第1、第2チャクラ付近(特に丹田)では意識を集中すると、
陽気(温かい気のこと)というエネルギーが発生します。
これは、体にとって有益な面が多いと言えます。
これが少ないと、肉体的・精神的に活動力が下がります。
しかし、これが多すぎても、あまり良くないのです。

私の場合だと、陽気が発生しすぎると、
性的な妄想が湧きやすくなりますし、アレルギーが悪化します。
つまるところ、エネルギーというのは偏っては良くないということです。
体の中のエネルギーは常にバランスされていることが大切なのです。

体のエネルギー(陽気・陰気)のバランスと各チャクラのバランス、
そして全体の気の詰まりを解消して、流れを良くすること、
これらを意識して調整できるようになると、
瞑想というのは一層奥深く、かつ実用的な道具となるのです。

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2016-01-02

神仏を尊び神仏に頼らず

「神仏を尊び神仏に頼らず」

僕は人の信仰心には、段階というかレベルがあると考えています。
僕はこれを4段階に分類しました。
これは宗教に所属していようといまいと判断することができます。
そして、これはあらゆる宗教、人間に当てはめることができると考えています。
以下はレベルをA~Dと表し、Aが最高でDが最低の表記とします。

A.神仏を日頃から尊び、辛い時に神仏に頼らない
B.神仏は尊ばないが、辛い時も神仏を頼らない
C.神仏を日頃から尊ぶが、辛い時は神仏を頼る
D.神仏を尊ばず、辛い時は神仏に頼る

Aのレベルとはかの剣豪の言葉と同じであり、
神仏を尊び神仏に頼らずでしょう。
この状態とは、人として最高の信仰心を持つレベルです。
そして、最も神仏から恩恵を受ける人達でもあります。

なぜ、神仏に頼らないのに恩恵を受けると言えるのか?
このAのレベルの本当の意味とは、
「人事を尽くして天命を待つ」の状態だと私は考えています。

つまり、自分が現実でやれることは当然全てやっていますよ、という状態です。
人間やれることを全力でやっていれば、依存するような発想は出てきません。
ですから、神仏に対して頼るような能動的な願いは出てこないのです。

しかし、普段から神仏を大切にしていれば、
自分の全力に+アルファする形で神仏の恩恵があると言えます。
この+アルファの部分が神仏の本当のご利益であり、
現実的な事まで全て神仏に頼るような思考は、Aのレベルでは落第なのです。
それは後述するCのレベルと同じになります。

プロの宗教家、または自称でも宗教家を謳うなら、当人は当然Aのレベルで、
人にもAのレベルを勧めるようでなければ、間違いなく偽物です。
しかし、こういった本物の方は非常に少ないと思います。
なぜなら宗教家にも旨味が少ないし、大衆もそれを求めないからです。

宗教家はあなた自身をしっかりさせない。それが一番大事です。
と言えば、信者を依存させられません。
そうなれば宗教で儲けることが難しくなります。

対して、大衆は多くの場合、宗教に自律する厳しさなど求めていません。
かくして、宗教家と大衆は良くてCのレベルで共依存を起こします。
しかし、これは双方とも大変な緩みで、誰も本当に幸せにはなりません。

Bのレベルは一般的な人、神仏を信じない無宗教の人です。
それも自律心が強く、人を頼らず自分で問題を解決できる人が多いでしょう。
このような人は、Cのレベルよりは間違いなく上でしょうね。
ですからAの信仰心を持てないのであれば、無宗教の方がまだマシです。

Dのレベルに至っては、現実世界で言う所のたかりと同じです。
例えばこれが、信仰者と神仏を、自分と友人に例えると、
金に困ったから貸してくれと友人に頼み、
大事が過ぎたら友人とは疎遠になることと同じです。
そして、また困ったら友人の所へ行って金をせがみます。
こんな人間がいたら、まぁ良いとは言えませんよね。

しかし、これを信仰者と神仏に対象を置き換えると、
多くの人が同じことをしていると私は思っています。
現実に困ったら神仏にご利益を求め、事が過ぎたら離れるという事です。

人は誤魔化せなくとも、神仏は誤魔化せるというスケベ心があるのです。
もしくは、それが神仏に対して失礼な事と考えていないかもしれません。
こんなことしたら、仏罰、神罰が下っても僕は文句がいえないと思います。
神仏を普段から尊ぶつもりがないなら、関わるべきではないでしょう。

どうでしょうか?
私が信仰に普遍的な基準を与えると、このようなものになるでしょう。
もしかしたら、痛い所を突かれてドキッとした方もいらっしゃるのでは?
今回は話を分かりやすくするため、宗教や神仏と表記しましたが、
スピリチュアル関連に言葉を置き換えても同じことです。

そして信仰のレベルはいつから変えても遅いということはありません。
自分の神仏を持つ方はAを目指し、
できればB、最低でもCのレベルにはなれるよう頑張りましょう。

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2016-01-01

集合定思考9


「人間は変われない」
「人生は暇つぶし」
「世界は自分一人」
「成長のチャンス」
「等価値について」
「最悪を想定する」
「変わり者」
「快楽と苦しみ」
「人間の価値」
「真似ることから道を極める」
「尊いもの」
「新世界について」
「答えの無い問題」
「貪るべからず」
「判断力と思考力」
「相手に与えた上で勝つ」
「臨機応変に生きる」
「地球は原始の世界」
「AIに対する驚き」
「新しい価値観」

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