2016-10-30

未来の自分の視点

「未来の自分の視点」

今回はNLPという方法論で使えそうな技術があったので、
それをネタにしようかと思います。NLPとは、
Neuro Linguistic Programming(神経言語プログラミング)の略で、
別名「脳の取り扱い説明書」とも呼ばれる技術。

個人的に自分が見ている本からは、
実用性の高い技術よりも理屈が先に多く出ていて、
微妙な印象がありますが、中には使えそうな技術がありました。

それは、未来の自分に成りきって現在の自分を評価する。
というものです。
これは自分を客観視するディソシエイトというテクニックと、
物事の捉え方を変えるリフレームというテクニックを含みます。

10年後の自分にとって現在の自分をどう感じるか?
ちょっとそれを想像的に考えるだけでも良いと思います。

まず、10年後の自分をなるべく正確にイメージすること。
今の自分から推測できる将来をちょっとずつ先に進めます。
この時、現在の自分からあまり逸脱したような進め方をするより、
今の自分の行動や選択をそのまま続けたら、
どうなっているかを想像した方が良いでしょう。

さて、その10年後の自分はどうなっているか?
何かを達成しているか、はたまた失敗しているかもしれません。
イメージの自分が何か人生で失敗しているようでしたら、
一旦その問題を解決する行動をこれから選択して、
問題が解決した未来を想像します。
否定的なイメージと同一化しても逆効果ですし、
イメージなので、ある程度自由に変えてしまって良いのです。

次に、その10年後の自分となるべく感覚を同調させていきます。
10年後の自分は何を見ているか、何が聞こえているか、
何を考えているか、何を実際にしているかをイメージします。
大体その感覚が出来上がってきたら次にリフレームをします。

10年後の自分から見て、今の自分はどう見えるか?
10年後の自分から振り返る形で、今の自分を捉えていきます。

すると、10年前に頑張っていたことはやっぱり大事な事だった。とか。
10年前にうまく問題に対応したお陰で今は楽になれた。とか。
10年前の失敗をうまく糧として今は成長することができた。
そういったことがイメージできるようになるのではないかと思います。

こういった未来から振り返ることはどういった意味があるのか?
それは、今の自分の状態や時間の流れから一旦自分の思考を離して、
自分を客観的に見直すことに長けています。
例えば辛かったり苦しい時に自分の状況を客観的に捉え直すのです。

人間は辛かったり苦しい時はうまく客観的になれません。
その時、自分の感覚をイメージで意図的に現在から引き離して、
広い視点で捉え直すことをディソシエイトと言います。
さらに、違う自分に成りきることをアソシエイトと言います。
また、物事を多角的に見直すことをリフレームと言います。
つまり、今回のテクニックはそれらの複合技術です。

今回紹介した技術はイメージ上の事ではありますが、
今の自分の視点を良い方向に塗り替える実戦的な手法だと思います。
シンプルではありますが、何かの役に立つ可能性は高いです。
皆様も機会があったら試してみるのも面白いかと思います。

今回の記事が皆様の何らかの参考になれば幸いです。

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2016-10-23

変わり者

「変わり者」

世の中には色んな人がいるわけですが、
その中でも、あまりいないタイプの人間、というのも確かにいるわけで、
そういう人は、その人の生き方が良いか悪いか以前に、
大体変わり者や馬鹿者、というレッテルを貼られてしまいます。

例えば、僕もかなり変人というか馬鹿者で、
這いつくばってでも真理を掴もうとする変わり種です。
這いつくばってでも金や権力を掴もうとする人間はそこそこいますが、
這いつくばってでも真理を掴もうとする人間はまずいません。
なぜなら目に見える利益に直結しないからです。

じゃあ、なんでそんなものを目指すんだ?と思われるかもしれません。
それは目に見えない利益を求めているからなんです。
だから目に見える利益は大体人に譲ってしまうんですね。
普通の人からみたら、これほど馬鹿らしいことはないでしょう。

でも、その代わりとして僕は、
精神世界では圧倒的に有利に事が進められるのです。
なぜなら、常識人と僕とでは賭けてる物の量と覚悟が違います。
普通の人が見える利益を追い求める時間や労力を、
僕は見えない利益を求めるために使っているわけですから当然です。

これは、才能やセンスうんぬん以前に物量が違うということです。
逆に言えば、僕はたくさんお金を稼いだり、権力を持つということは、
まず、あり得ないことだと自覚しています。
普通の人からみたら、これはほぼあり得ない選択肢ですし、
その判断は間違っていないと思います。これは僕が普通じゃないのです。

じゃあ、見えない利益ってなんなの?と言われると、
僕も確かな実態を把握していないのです。
しかし、これは直感で手に入れておいた良い物、と分かるわけなのです。
例えば、素晴らしい絵を直に見た時に、これは良いものだ。
と、分かることと同じなんですね。

この辺も直感が鈍い人や、現世的利益を求めて打算で生きているには、
全く理解しがたいことだと思います。
そんなあやふやに感じているものに人生を投資するのか、
と、思われても仕方ありません。
僕は未来を見据えて自分では打算的に生きているわけですが、
どうも常識人には、そうは映らないようです。

何にせよ一番重要なのは、何を楽しく感じるか?だと思います。
見える利益を追い求めることに喜びを感じるのは悪い事ではなく。
僕みたいに変わった事に喜びを感じることも悪い事ではありません。
結局の所、人間は変わろうとしても中々変われません。
ですから、自分の喜びとなる事をすれば良いのです。

あなたが一番楽しいと思う事に、あなたの本質が詰まっているのです。

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2016-10-15

瞑想時のリラックス方法

「瞑想時のリラックス方法」

瞑想時においてはリラックスが重視されることは、
ご存知の方は多いと思います。
今回はリラックスする方法について検討してみましょう。

まず、私の持論から申させて頂きますと、
リラックスは大きく分けて以下二つの状態があると考えています。

①身体的にはリラックスしているが、意識面では集中している。

②身体的にもリラックスし、意識面でもリラックスしている。

この二つがどのような違いがあるかと申しますと、
瞑想方法や瞑想効果に大きく違いが出てきます。

まず、①の状態はどういったものかと申しますと、
これは気功やチャクラチューニングに代表される集中型瞑想です。
これらの瞑想法は、気やチャクラなど、
何らかの対象に意識をかけ、体の異常を解消するのに長けています。
従って、体の気やチャクラに異常がある場合は、
これらの集中型瞑想を選択することをオススメします。

次に②の状態はどういったものか。
これは、禅やあくまで完全リラックスを目指す意識拡散型瞑想です。
これらの瞑想法は、局部的な体の異常を解消する効果は今一歩ですが、
全体の気の調和を保つことに長けています。
体の気やチャクラに全く異常がない場合、
これらの意識拡散型瞑想を選択することをオススメします。
というのも、異常も無いのに集中型瞑想を続けると、
かえって瞑想効果を損じてしまうため、仕方なく用いる必要があるのです。

集中型瞑想、特にチャクラ・チューニングについては、
今まで私がコツコツとまとめた記事がありますので、
そちらを参照されると良いでしょう。
今回は意識拡散型瞑想のリラックスの技術について解説します。

リラックスは前述した通り、二つの要素に分類されます。
身体的リラックスと、意識的リラックスです。
分かりやすいのは身体的リラックスです。
これは楽な姿勢になって、体の力を抜いていれば自然と達成できます。

では、意識的リラックスとはなんでしょうか?
これを言葉で定義すると、どこにも意識をかけていない状態です。
これは一見簡単そうに見えて難しいことなのです。
人間はいつも何かをしていますから、
意識的リラックスを意図的に発生させることはあまり多くありません。

ですが、皆さんが一日の内に、必ずこれを体験している時間があります。
それは睡眠です。睡眠は完全にリラックスした状態です。
皆さんが瞑想中に意識的リラックスをしたいと思ったら、
瞑想中に寝ようとする感覚を作って下さい。
夜布団に入って、さぁ寝るぞという感覚を座りながら発生させるのです。

こうすることで、瞑想中に意識的リラックスが可能です。
しかし、ここで難しいのがコックリコックリとしてはいけません。
姿勢は維持しているのですが、頭は半分寝ている。
こんな状態を目指して下さい。これが瞑想の一つの段階です。
この状態に慣れると、瞑想の更なる効果が期待できます。

実は、この段階は集中型瞑想をある程度完成させないとできません。
なぜならチャクラや気の異常があると、
どうしてもそっちに自然と意識がいってしまうからです。
ですから、これはチャクラや気を調整することを体得し、
その後、さらに深い瞑想に入るための方法なのです。

ということで、リラックスも奥が深いということです。

この記事が皆さんの何らかの参考になれば嬉しいです。

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2016-10-09

瞑想の長さ

「瞑想の長さ」

最近はどうやら瞑想への関心が高まっているようだ。
有名な企業で瞑想を取り入れたりすることもあるようだし、
テレビなどでもちょこちょこ紹介されるようになってきた。

僕が10年ぐらい前に「趣味は瞑想」です。
なんて言おうものなら、変人や変態に見られる世の中だったが、
変われば変わるものである。メディアというのは恐ろしい。
さて、そんな昔話はここまでとして、
今日は瞑想の長さについての考察をしてみたいと思う。

瞑想は「長ければ長いほど良い」という字面を見ることもあるが、
果たしてそれはどうなのか?ということである。

真っ先に考えるのは、初心者に長い瞑想は無理ということだ。
筋力などとは少し違うかもしれないが、
長時間の瞑想には、瞑想の時間に耐える力が必要となる。
初心者は疲れたら無理しない方が良い。
5分や10分でも少しづつ軽い負荷から進めていけば良いのである。

問題は瞑想に慣れている中級者以上の人間は、
本来どれぐらいの長さの瞑想が最も効果的なのか?ということだ。
まず、思いつくのが瞑想は長ければ長いほど良いのか?
という疑問である。

これについて僕が考えることは、
例えば、筋トレの回数は多ければ多いほど良いのか?とか。
寝る時間は長ければ長いほど体力が回復するのか?とか。
勉強時間は一日に占める時間が多いほど良いのか?とか。
そういった疑問と同列に考えてみることだ。

自然に考えれば、これらは合理性とは無縁の発想だと思う。
何事も適度にバランスを調整する方が遥かに効率的になる。
とすれば、長い長い瞑想はそう合理的ではないのではない、
と、私は考えるのである。

では、どれぐらいの長さが適正なのか?
これについては中々に難しい問題だと思う。
杓子定規に何分が良い、とも言い切り難い。
例えば睡眠においても、比較的短いぐらいが丁度良い人と、
ある程度長く眠るほうが調子が良い人など様々だ。

瞑想の適切な長さも個人差があると思った方が良いだろう。
目安となるのは、普段瞑想した時、
疲れてくるちょっと手前ぐらいで切り上げる、
これぐらいが理想的な長さなのではないかと思う。

ご飯も腹八分目というし、少し軽めな位が理想的なことが多い。
瞑想のサイトを見ると、瞑想は最終的に長ければ長いほど良い、
といったことも書かれている場合もあるが、私は疑問を感じる。
やはり経験則による実感から判断するのが間違いない。

私自身は長い瞑想をしたからといって、何が変わる訳でもなかったし、
今では40分~50分ぐらいが自分の最適な長さだと感じている。
大切なのは自分に合った長さを自分で見つけることではないか。
と、現在の僕は考えている。

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2016-10-01

捏球について

「捏球について」

最近、僕は捏球(ねっきゅう)について効果を検証している。

捏球とは何かと言うと、某仙道書に記載されている、
イメージボール握り、という気の感覚化トレーニングの一種だ。
某仙道家は色々なネタを一般人に残してくれたので、
何か困った時は、僕もよくヒントをもらったりしている。

それはさておき、まず捏球の詳しい説明に入ろう。
やり方は、手のひらを上に向けて、
直径4~5センチのボールが両手にあることを想像しながら、
ギュッと握っては、緩めるを何度も繰り返す。

じゃんけんのグーとパーの繰り返してみたいだが、
グーではなく、ボールを握った状態の手の形なので注意。
実際は、軟式テニスボールを握ったり開いたりを繰り返すのに近い。
握りの早さは適度に素早く、リズムよく行う。
自然と指には軽く力が入り、意識は指先に集中させる。

某仙道書などでは、実際に人前で行う際には、
実際に軟式テニスボールのようなものを持って、
「健康法なので」と他人に言ってからやると良いと書いてある。
僕は人が見えないデスクの下とかで、コソコソ片手づつやっている。

この捏球というのは中々の優れもので、いくつかの効能がある。

一つは、手のひらの気の感覚化が強化されること。
全く気の感覚に素養がない人でも、
続けていく内に手のひらに変な感覚が出て来ると思う。
疲れて手が痺れたんだろう、と最初は思うかもしれないが、
徐々に少ない回数でこういった状態になると思う。

某仙道家の出している24時間パワフルマニュアルという文庫本では、
捏球の他にも、気の感覚化を強化する方法が色々書いてあるので、
興味のある人は買ってみると良いかもしれない。
ただし、この良書は絶版かつ高値で取引されているので、
金をかけたくない人にはオススメできない。
(某仙道家の本は、軒並み絶版となっているのが面倒)

続いて効果の二つ目であるが、これが最近僕が気づいた内容だ。
捏球は手のツボを刺激するせいか、手に気が通りやすくなるせいか、
よく原因は分からないのだが、
イライラした時にこれを行うと、なぜか少しイライラが静まってくる。

私はそこそこの頻度で、思い出し笑いならぬ、思い出し怒り、
といった現象が発生するので、その時この捏球をやると楽になってくる。
単純に意識が指先にいくからだよ、と言われても反論できないが、
実際に楽になるのであれば、私としては何でも良いわけだ。

短所としては、人前でやる時は工夫しないと怪しく見られることだ。
駅のホームでボールをニギニギしていたら、多分おかしい人に見られる。
ボールを持ってなくても、なんか手が動いていたら気にする人もいるだろう。
この辺は、手のひらが人目には付きにくい場所を探すほかない(笑)

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