2016-11-25

人間の価値

「人間の価値」

最近はコンピューターや人工知能が発達してきて、
人間のやるべきことを、どんどん代わりにやってくれるようになった。
これでいつか人間は、やりたいことだけをやる世界になるのだろう。
しかし、それだと人間が存在する意味は無くなるのだろうか?

違うのだ。人間の価値は全く変わっていないのだ。
その理由はあまりにも単純で理解しづらい。
「存在は存在するから存在する」
「存在は非存在になれず、非存在は存在になれない」
つまるところはこういうことなのだ。

人間が存在するのは存在しているからだ。
それ以外の理由は後付けにすぎない。
これが宇宙の根源。基底になる原則だ。
そして存在していること自体が人間の価値なのだ。

では、科学の発達が何を変えたのか?それは人間の表面だ。
物質的に充足した生活を送れるようになったことだ。
それはけっこう。不足するよりは良いかもしれない。
じゃあ、人間の内面である精神性はどう変わったのか?

どうも一部だけは変わった部分はあるかもしれないが、
多くの場合は闘争をしたり、欲にまみれた状態だったり、
おそらくここ2000年~3000年間位は大した進歩もなかったのだろう。
少なくとも進化した生物だとはあまり思えない。

精神的な進歩がなくても、物質的には豊かになれた。
これが良いことか悪いことかはよく分からないが、
あんまりこういった環境に長居はしたくないな、と僕は思っている。

どうも人間は物質的に豊かになることが最優先で、
誰もが精神的に豊かになることは、まだ何万年か先の話なのかもしれない。
僕が出来る事としては、自分の精神性を高めていくことしかできない。
多くの場合、他人に何をしても無駄だと僕は考えているからだ。

人工知能の発達によって近未来の想像をすると、
ワクワクすると同時に、最終的な結論は何も期待していない。

近い将来人間は病気を患うことはなくなるだろう。
近い将来人間はロボットと生きることになるだろう。
近い将来人間は歳を取ることがなくなるかもしれない。

それはどれも素晴らしいことだとは確かに思うが、
本当の進歩とは僕はピントがズレていると考えているからだ。

では、人間の本当の進歩に必要な事とは何なのか?
難しい質問だ。僕も難しいと感じる。
子供に高い位置のドアノブを自分で握れるようになるには
どうすればいいのか?と、聞かれた時と同じかもしれない。
それは成長するしかない、としか言い様がない。

ただ、物資的な充足の先に、精神性の変容があるとは最近思えなくなってきた。
精神の豊かさとは、必ずしも物質的な豊かさが必要ではない。
むしろ現人類は物資的に充足すると欲にまみれていく傾向のため、
もしかしたら持たざる者の方が、今は正しいのかもしれない。

人間の精神性は昔から大して進歩していないのだ。
きっと明日も変わらず地球はグルグルと回っているだろう。

一覧へ戻る

2016-11-19

2016年11月の瞑想研究

「2016年11月の瞑想研究」

今日は私の2016年11月時点の瞑想研究結果を記事にします。
以前から継続して行ってきたチャクラ・チューニングですが、
2016年10月辺りから、また色々な研究が進み。
現在は以下のような状態となっています。

まず、そもそもチャクラの異常がほとんど発生しなくなりました。
最近はチャクラ・チューニングを継続して行ってきたことで、
瞑想を続けているだけで特別意識しなくても、
ほぼチャクラが自動的に調整されています。

異常の無いチャクラの調整は、
かえって瞑想効果を妨げることが以前の研究で分かっているため、
チャクラの調整は瞑想の目的ではなくなり、
さらに別の方向性から瞑想を行う必要が出てきました。
それで、瞑想形態を変えるため試行錯誤したところ、
意識拡散型瞑想による調整に変化しました。

寝る前のリラックスのような感覚を発生させる意識拡散型瞑想は、
自然と頭部から気が取り込めるようで、
気分が快活な状態になりましたが、また一点問題が出てきました。
どうも、気が活発になりすぎてイライラが高まったのです。

これを解決するために利用したのが会陰への意識集中です。
これはチャクラ・チューニングと同じ要領で意識をかけます。
理由は解明できていませんが、これがうまく働くことで、
イライラは解決され気分もさらに快活になりました。

ということで現在は以下の2点の方法を同時併用しています。
①意識拡散型瞑想の頭部リラックス
②会陰にチャクラ・チューニング方式の軽い集中

意識拡散型瞑想とチャクラ・チューニングの併用は、
当ブログをよくご覧になる方は一見矛盾していないか?
と、思うかもしれません。
感覚的には頭部付近のみ意識が拡散していて、
下半身は会陰にのみ軽く意識が掛かっています。
同時併用とは随分ややこしいと思うかもしれませんが、
慣れるとそれほど難しくはありません。

この瞑想形態に移行してからの変化は、
まず、普段の意識が非常にクリアになった感じがします。
感覚的には常に清涼な感覚が頭部にあって、
頭が冴えてきています(頭が良くなったわけではない)

次に瞑想中の変化ですが、なぜか丹田に気が勝手に集まります。
実はこれも最近の研究で分かったことなのですが、
僕は不調時以外に丹田に意識をかけると調子が悪くなるのです。
ですから、瞑想時に丹田への集中はあえて避けてきたのです。

ところが今回の瞑想形態に移行してからは、
勝手に丹田に気が集まるため、その流れを止められません。
ですが、特にこれで体調への悪影響は出ていません。
意識かけているのは会陰のみですので、
自分から積極的に丹田に気を集めない限りは大丈夫みたいです。

現在は以上のような流れで研究を進めています。
今後も更なる進展があると思いますので、
変化があれば、こちらのブログで発表したいと考えています。

一覧へ戻る

2016-11-12

自分と合う技法を選択する

「自分と合う技法を選択する」

瞑想の技法というのは、自分に合う合わないがあります。

私も以前は参考にしていた瞑想の本に従って、
その本の通りに色々やってみたのですが、
実際はうまくいかないことがよくあるのです。

重要なことは、答えが本の中の内容ではなく、
自分が体験した方が正しいということです。
では、本や文献と自分の体験が違っていた場合、
本や文献が答えを間違えているのでしょうか?

これについては必ずしも断定はできません。
低質な文献であれば、その可能性は確かに高いですし、
良質な文献でも、自分の体験と文献の内容が合わないことがあります。
なぜなら、神秘行の技法の合う合わないというのは、
個人差が大きく出ることが多いためです。

Aさんでは有効だった方法が、Bさんではあまりうまくいかない。
こんなことが普通に起こり得るのです。
これは当人が悪いのではありません、
例えば、スポーツやゲームでも得手不得手があるように、
瞑想というジャンルの中でも得手不得手があるのです。

ですから、人によって何が合うかはやってみないと分かりません。
重要なのは自分と合わない方法を選択して、成長を妨げるよりも、
自分に合った方法を早い内から選択し、神秘行を追求することです。

自分に合った方法は効果が出るのも早いですし、
効果が出ると、やる気も湧いてきます。
そういった自分の得意なことを習得しているうちに、
苦手なことも関連してできるようになることがあります。

前述の通り、私も昔は本の通りに瞑想して失敗を多くしました。
これは、私にとって最適化された情報が少なかったので、
まぁ、仕方のないこととも言えますが、
昔の私は本に書いてあることに固執して、
自分の結果が悪いということから目を逸していました。
ですが、こういった態度は間違いなのです。

瞑想は本を読むだけで体得できてしまうような、
底が浅く、簡単なものではありません。
スポーツでプロになろうと思ったら簡単ではないと思うでしょう。
瞑想を極めるというのは、これと同じことなのです。

何よりも重要な態度とは「柔軟性」です。
あれはダメったから、今度はこっちでやってみよう。とか。
本に書いてないけど、たまたまこれでうまくいったから、
今度はこの方法について詳しく調べてみよう。
こういった臨機応変な態度が瞑想の結果を良くします。

瞑想は技術ですから、常に工夫とあと一歩の努力が大切です。
あなたはあなたの瞑想を自分で創り上げていく必要があるのです。

一覧へ戻る

2016-11-05

快楽と苦しみ

「快楽と苦しみ」

最近、快楽と苦しみはセットなのではないか?
ということを僕は考えている。
今回の記事で快楽というのは脳が快感を感じるあらゆることで、
苦しみはその反動によって起こる良くない状態、ということにする。

普通は何事もほどほどが良い、と言われているが、
それは確かにその通りじゃないかな、と、僕も納得できる。
しかし、その言葉の内訳がどうなっているかと推測すると、

快楽によって起こる良い影響は、その時間が長いほど徐々に減っていき、
快楽によって起こる苦しみは、その時間が長いほど徐々に増えていく。
と、僕は考えるのだ。

つまり最初は良い影響が目立つから特に悪いことは気にならないが、
快楽に費やす時間が長くなるほど苦しみの方が目立つようになってくる。
快楽と苦しみはセットだが、時間の長さによって立場が逆転する。
ということを最近思い始めている。

だから僕は苦しみを減らしたいと思うなら、
まず、快楽を制限することを考える必要があると思う。

しかし、ここで勘違いしないで欲しいのは、
ストレスな環境(例えば職場)で苦しい、というのとは別物だ。
これは外部からの直接的な悪影響なので、内面のバランスの問題ではない。
こういった問題はストレスになる環境を変える必要がある。

ということで、今回はこれとは別の問題ということを認識してほしい。
さて、話を戻して、

快楽と苦しみがセットであるというのあれば、
やたらと快楽を求めることは、苦しむ機会も増やすことになる。
従って平穏かつ安心感を強めたいなら、
快楽に費やす時間を減らす方が良いのではないか?と僕は思う。

私の話であるが、私も実は大のゲーム好きであり、
以前はゲームに多くの時間を費やした。
そして、その結果として寝不足になったりしたものだ。

しかし、それはゲームという快楽が悪いのではなく、
快楽に費やした時間が多すぎるから、悪影響が目立ったということだ。
また、これは何もゲームに限った話ではない。

他の色々な快楽に対しても、言えることだと僕は考えている。
そして、快楽は求めれば求めるほど、もっと強い刺激を求め始める。
これが人生をどん底に突き落とす罠と言ってもよい。

こういったこと考えると、どういった姿勢で快楽と向き合えば良いのか?
それはまず、必要以上の快楽に染まらぬよう気をつけることだ。
最初の一歩を水際で食い止めてしまうことが、負荷も少なく一番容易い。

そして快楽を増やせば、苦しむ機会も増やすことになる、
という言葉を頭の隅に置いておけば良い。
人間にある程度の快楽は必要なことだと思う。

人生に全く快楽がないのも寂しいし、楽しくないだろう。
だが、度が過ぎてしまうのは人の常なので、
なるべくなら増やさなくても良い快楽は、増やさない方が良いと僕は思う。

ただ、こういうことを身内でも強制はしない方が良いだろう。
別に快楽というのはハマりたいだけハマっていいのだ。
それでおかしくなってから、ようやく真の意味が分かってくる。

それを他人がどうこうできるはずがない。
結局そういう人間は遅かれ早かれ、必ずどこかで失敗する。
人間は失敗しない限り人生で何かを学ぶことはない。

要は自分がしっかりしていることが、手本にもなるし一番大切なのだ。

一覧へ戻る

Copyright (C) 集合定思考. All rights reserved. Template by Underground