2015-07-18

選択と世界

「選択と世界」

世の中にある物事というのは、
そう簡単に完全、完璧な結論に至ることはまずないでしょう。
多くの選択とは、それが最善かどうかなど分からないことが多いものです。
それでも私達は何を選ぶか?ということを世界から迫られます。

人によって意見が分かれ、結論が分からず、重大な責任の選択、
そのモデルケースの様に感じたものがありました。
それは、昔お産婆さんが障害児と断定できる赤子を殺すことです。
これは「間引き」と言われます。

これは私がネット上で見た内容で、その正確な真偽は分かりませんが、
それを見る限り、昔はお産婆さんが赤子を絞めるというのは、
一部の地域においては、それほど異常なことではなかったそうです。
今でこそ問題となりそうですが、当時は当たり前だったのでしょう。
場合によっては人口調整のために、健常な乳児を殺すこともあったそうです。

そして、問題となるのが赤子とその命の扱いです。
果たして人が人を選別していいのか?という疑問もあります。
もし、ここで我が子だったら障害児でも産み養うというのは、
とても間違っているとは思えません。
それは我が子への愛があると思うからです。

ただ、それだけが愛のある選択とはならないと私は思います。
赤子の首を絞めるお産婆さんは好きで殺したというわけではなく、
家族、親族、社会への大きな負担を考えてこそ首を絞めたわけです。
これは昔だから、と言う条件も大きな要素となります。

人間の環境というのは現在より過去の時代に戻るほど、
資源の確保が難しく生きる事がシビアなものです。
そんな中、障害児の負担は今の比ではなかったでしょう。
生活が豊かでない家族が障害児を養うことは、とても現実的に不可能です。

一体、どっちが正しく、どっちが悪いか、というのは私は判断できません。
一方は、これから生まれようとする存在を優先した選択をして、
もう一方は、今生きている人間を優先した選択をしたと言えます。
どちらを優先したとしても、どちらかが負担を持たねばなりません。
どうしてそう簡単に、どちらかが悪いと断言できるでしょうか?

選択とは非情なものです。
どちらかを選べば、どちらかを捨てることになります。
ですが、私達は選択を避けることはできないのです。

私達人類は一見すると、不完全な世界に置かれることによって、
こういった重大かつ結論が出ない多くの選択を、世界から迫られるのです。
それは昔だけでなく、現在も全く同じことです。

哲学といった学問も、そういった答えの出ない問いを考えるのでしょう。
私はその選択の正当性よりも「あなたならどうするか?」
ということが大きな意味を持つと思っています。

あなたの選択によって、あなたがどんな存在かが定義されるからです。
その結果によって、あなたの信念が明らかになるのです。
あなたがあなたを知るために、選択が必要となるのです。

お金や権力か、自己のための時間か、といったことも同じような話題です。
全く甲乙つけがたい難題を私達は常に迫られています。
ですが、なにを選ぶかによってあなたが定義されるのです。

もし、完璧な答えしか無ければ、あなたはそれを選ぶよりありません。
それはなんの苦労もなければ、変化も進歩も工夫もない世界です。
その楽園では満足できないから、私達は地球という星で生きているのです。

なぜ、世界はあらゆる問題が完璧に解決した状態ではないのか?
それは、あなたに選択させてあなたを定義させるために、
世界は完璧尽くしでは無いのです。

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