2016-02-20

僕が得てきたもの

「僕が得てきたもの」

過去、僕が得てきた物で、以下の重要な3つがある。

①囲碁で養われた大局観
②瞑想で養われたバランス力
③老子を知ることで得た柔弱な生き方

おそらくこの三つは、場合によればたった一つでさえ、
普通の人では一生得られない貴重なものかもしれない。
手前味噌かもしれないが、
この若さで、これら全てを揃えている人は少ないかもしれない。
だが、それゆえ僕はあまり理解されない人間かもしれない。

普通の人は大局的な視点を持つことより、目先の方が重要だろう。
なぜなら、それで困ることは当面は出てこないからだ。
僕が考えているようなことは、妄言のようなもので、
そんなことはどうでもいい、と考えるかもしれない。

普通の人は、体と調和して生きることよりも、
エネルギーに溢れた生き方を好むかもしれない。
僕が調和のために行っている作業は、鈍くつまならいもので、
そんなことは何の役にも立たない、と考えるかもしれない。

普通の人は、柔弱な生き方を目指すよりも、
お金を集めて出世を目指したり、剛強な生き方を好むかもしれない。
僕が実践しようとしている柔弱な生き方は、
あまりにも愚かで、馬鹿馬鹿しいと考えるかもしれない。

つまり、僕は普通の人がみれば、
妄言を吐く愚鈍な人間に見えることもあるだろう。
しかし、僕は自分の生き方の長所を知っている。

もし、僕が目先の事しか考えていなければ、
人生で予想外の失敗をしてしまう危険性が大きく高まるし、
もし僕がエネルギーに溢れた生き方を好んでいれば、
僅かな時間で、エネルギーを使いきってしまうだろう。
もし僕が剛強な生き方を好んでいれば、
その剛強さが崩れた時に取り返しのつかないことになる。

僕の生き方の特徴は失敗が少ないことである。
その理由は下記の通りだ。

 ①全てが無理なく持続可能であること
 ②継続する限り、その質が向上していくこと
 ③重要な部分を他者に依存しないこと

僕はこのように、後になればなるほど有利な生き方だから、
生きることに楽しみも多いし、誰からも恨まれるようなことはしないから、
致命的な失敗をする危険も少ない。
自分の根幹を他者に依存しないから、心が動揺することもない。

従って僕の人生の見通しは、
一般的な尺度で言えば、暗いように見えるかもしれないが、
とても安全に成功を目指すことができる、と思っている。

逆に普通の人が考える人生の明るさとは、
(例えば、お金をたくさん持っているとか、地位があるとか)
これらは非常に不安定な要素を含むことが多いから、
本当に安全かといわれたら、僕はそうは思わないのである。

僕はあえて愚鈍に徹することで、自分を巧みに守っているのだ。
あえて愚鈍に徹しているから、天の理を知ることができるし、
人から羨ましがられたり、恨まれたりすることもない。
愚鈍に生きることは、僕にとっての処世術そのものなのだ。
 
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