2017-02-04

判断力と思考力

「判断力と思考力」

あなたは何かを評価する時、どんな基準で評価を下そうとするでしょうか?
評価するというのは判断するということですから、
何らかの判断基準がなくてはいけません。
しかし、この基準が真実から大きく離れたものですと、
何かを評価しても間違った結果となります。

この基準が例えば、メディアの受け売りや人づてのみとなると、
これはかなり怪しい基準になると僕は思います。
というのも、言葉というのはすぐ曲解もされますし、
世の中は発信する側に、悪意のある第三者が普通に存在しますから、
信用できるソースを探すのは骨が折れるわけです。

これを世の中が間違ってる、と言ってもしょうがないのですね、
ここを見ている方は、そんなこと言わなくても分かると思います。
それで確実なソースっていうのは、基本的に外部にはないんです。
与えられた情報を自分の頭で、なるべく正確に処理して、
自分の中に出力された答えが、一番参考になるわけです。

これが出来ないと、世の中で成功することは絶対できません。
しかし、これって出来ない人には習得が面倒かもしれません。
僕も自然と身についていた物で、改めて考えると難しいと思います。

情報の処理というのは、ただ知識を蓄えれば良いものではありません。
知識を蓄えただけでは、歩く辞書になれるだけです。
これだけで良いなら、莫大な量の本を読めばいいだけです。
しかし、データ量の多さと大局的な処理能力は全く別物です。

世の中は玉石混合の情報が様々な場所に溢れていますから、
この中から玉だけ取り出すようなことが、処理能力の一例です。
こういった場合は、自分で考えて比較してみるのが面白いかもしれません。

○○がいい!じゃあそれでいいや!…で終わるのではなく、
なぜそれが良いのか?その選択の欠点は何か?他の選択との差異は何か?
疑問を持つという言い方もありますが、
よくよく考えてみることが、処理能力を向上させることの第一歩です。
これを億劫がるなら、人生の成功を諦めた方が良いかもしれません。

そして有力な情報をある程度絞ることができたら、最適化が大切です。
僕の言う最適化とは、集めた情報を自分の状況に合わせて比較・修正する、
ということです。

正しい選択とは、環境ごとに変わっていきます。
極論すれば戦時中に人を殺すことを躊躇えば大失敗です。
戦争が始まってしまったら、気持ちで負けていればより危険です。
一般的に人を殺すことは、世の中で最も重い罪ですが、
それすら時と場合となることがあるのです。

さて、話を戻すと全ての出来事はケースバイケースですから、
何かを選択する時は、自分の状況に有効な物だけを選ぶことが大切です。
これが奇法と呼ばれるもので、一般的に良いという物は正法と言います。
一般的にはこれが良いとされるけど、僕の状況ではこれが正しい、
といった、その場その場の臨機応変な選択が奇法です。

この奇法が有効なケースが、現実には非常に多く存在します。
最終的には正法と奇法の使い分けが、究極の選択術となるのです。
ですから一般的な選択と、自分に適した選択の両方を常に天秤にかける、
このように思考することができれば、
明晰に長けた人物に近づくことができる、と僕は考えています。

情報の取捨選択は、現代では最も活用される処理能力と言えるでしょう。
重要なのは漫然と選択するのではなく、よく考えて自分の理屈を作り、
それを適宜調整し、状況によって柔軟に使い分けることが必要だと思います。

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